2013年9月23日 (月)

会議の勝者は聴衆が決める 「半沢直樹」ラストシーンに学ぶ

「半沢直樹」,ついに終わってしまいました。

原作を見ていたので,大筋はわかっていながらも,所々原作と異なるところもあり,そしてテンポのよい展開に,ついつい引き込まれてしまいました。
ラストも基本的には原作通りだったので,驚きはしませんでしたが,どうも終了後のSNS等での反響を見ると,あのラストにガッカリした人が多かったようですね。
…でも,あの文脈での人事の処分としては,むしろ半沢が本部に残ったまま部長になる?なんてこと自体ありえませんし,大和田をクビにするのも実際難しいでしょうから,まあ,あんなもんかなと思いました。むしろ,「ガッカリした人が多い」ということに驚きです。
ただし,あの役員会での半沢の「立ち回り」は,もちろんドラマですから「あり得ない」のは当たり前ですが,あれじゃあクビがとんでもおかしくない。
むしろあの程度の処分ですんでよかったくらいだと思います。
というより,自分のクビを覚悟で,役員全員の反感を買ってでも,自分の父親の「敵討ち」を選び,是が非でも大和田を役員全員の見ている場で土下座(=100倍返し)を強行したことに,半沢の美意識を描いたのだと思って,興味深く見ていました。
…と思ったら,渡真利や花ちゃんに持ち上げられてついつい勢いづいてしまったのか,本部副部長?それとも部長?みたいに浮き足だってしまって,意気揚々と頭取直々の人事発令を聞きに行くわけです。そしてアレっ?となる。
オイ半沢,調子にのってんじゃないぞ!と思いました。
あの場面では,ガッカリしちゃいましたね。
あれだけの大立ち回りを役員会で演じたからには,相当の処分を覚悟しておこうよ,半沢君!
大和田問題の後(つまり半沢退場後)の議題は,他でもない,金融庁検査における半沢の態度に関する処分問題。
そして岸川が実は黒崎と繋がっていた,ということも,半沢は伏せているわけですから,その部分での情状酌量の余地もなくなるわけです。
自分の人事処分の議題の直前に,役員全員を挑発し,そして次長の分際で常務をつるし上げ,挙げ句の果てには直属の上司の静止も振り切り,さらには頭取の静止も振り切り,衆人環視の場で常務を土下座。
これじゃあ,金融庁検査での「態度」問題の議論は,完全に半沢不利になびくのも当然(原作以上にドラマでは激しかったですし…)。
「あんな危険人物をのさばらせておくわけにはいかない!」と役員全員が思うこと,間違いなしです。
半沢にとって大事なのは,大和田常務への「100倍返し」。それはそれで大事なこと。父親への仇討ちでもあるし。
全てを捨ててでも差し違えたい相手だったのだと思います。
そしてそのために,まさに自分の全てを捨てて,捨て身の覚悟だった。
それならそれで,いいんじゃないでしょうかね。
というより,役員会での立ち回りの場面では,その決死の覚悟というか,潔さが美しくもあった。あの涙もよかった。
でも,もし半沢の目的がそれだけでなく,「出世」への欲目みたいなものにもあったのであれば,話は全く別。というか,うまくいっちゃったから,欲目が出ちゃったのかもしれませんが。
会議の場での「議論」の勝負は,やりとりしている2人が決めるものではありません。
それを見ている,その他大勢の人たちに,どう映るのか。
自分が「試合に負ける」ことで,「勝負に勝つ」こともあるわけです。
半沢が好印象を残すためには,少なくともあの場で銀行批判をしてはいけないし,役員全員の意識を問うようなことをしてはいいけない。
大和田を追い落とすにも,ラフィットへの与信判断や借金を徹底的に調べ上げた上での銀行員としての資質を問うて締め上げ,トドメで岸川の裏切りの一言が出た時点で,「後の判断は役員の皆様にお任せします」と述べ,そして,分をわきまえない数々の言動をお詫びした上で,サッと身を引く。
ここまでなら,頭取が丸く収められたかもしれません。
実際,その強気な交渉術と分析力で,数々の結果を残してきたわけですし。
しかし聴衆を完全に敵に回してしまった以上,「クビだ!」という意見も飛び交うでしょうし,その中で頭取ができることは,「しばらく出向しておとなしくしておれ」ということだったのでしょう。
頭取にとって半沢は,自分の命運を託し,見事に答えてくれた人物ですから,懐刀においておきたいはず。でもそれは「今」ではなくなった。
ほとぼりが冷めた頃に,本部に戻したい。少なくとも頭取と内藤部長は,そのように思ってくれているかもしれません。その意味では,半沢には再起のチャンスは残っているのでしょうけれども。
会議の場で大事なことは,意見の違う相手を「論破」することではありません。
相手が納得し,周囲も納得し,自分の要望が通るならベストですが,時には自分が「負ける」ことで,周囲が味方につくこともある。
会議の勝敗を決めるのは,自分でも相手でもない,その他大勢の参加者。
大学での障害学生への支援体制構築のプロセスで学んだことの,大切な1つでもあります。

2012年4月 8日 (日)

自分を磨く時間を作る

実に,久しぶりの更新!
最近はTwitter,FB,mixiといったSNSの活用が増え,結果的にブログ更新が減ってしまいました。
さてさて,また1年が過ぎ,出会いと別れの季節を迎えています。
今回は,卒業生に向けて送るつもりで書きます。

社会人になると,毎日忙しいです。
日々の仕事に追われて,帰ったら,バタン!キュー!と床につく毎日。
その忙しさは,新入社員,皆同じ。
でも,そんな中でも,本を読む,キャリアアップのための教室に通う,など,何らかの自分磨きをしている人と,とにかく毎日をこなすだけの人とで,3年後,5年後,10年後には大きな差になります。
隙間時間はいろいろです。
往復の電車,エレベータの中,アポイントや会議の時間に5分前についた時。
その時,手持ち無沙汰にスマホをいじるのと,本を読むのとの違いです。
読み物と言っても,業務上の課題の本や書類は,読んで当たり前。
そうではなく,一見,直接今の仕事には役立たなそうな本を読む時間を作れるかどうか,ということです。
やるべきタスクは,重要性と緊急性によって4つの象限に分けられます。
目の前の仕事のために目を通さなきゃいけない資料や本は,誰だって,無理くりにでも時間を作って目を通します。緊急でもあり,重要でもありますから。
また,残念ながら(?),さほど重要ではない仕事であっても,緊急性が高いことは,どうにかします。
そしてちまたのマニュアル本では,「緊急ではないが重要な課題」をどうやって確実にこなしていくか?に注目しているものが多いです。これは確かに大事なことです。
問題は,緊急でも重要でもない課題です。
これは,マニュアル本を読んでも,どうでもいいことのように軽く扱われています。
しかし本当に「どうでもいいこと」なのでしょうか?
本当にどうでもよいと思っていたら,そもそも「課題」としては挙げないはず。
「絶対にしなきゃいけないわけでもないけど,時間があったらやりたいな」と思うものが,これにあたるかなと思うのですが,これは「どうでもいいこと」ではなく,夢へのチャレンジです。
具体的には,いつか読みたい本とか,見たい映画とか。
これらを,あえて隙間時簡を作っては少しずつでも進めていく。
少しの時間を確実に作っていけば,「チリも積もれば山になる」で,数年後に大きく成長することでしょう。

さて,そのための具体的な方法の1つを。
「飲み会出席は,3回に1回程度」です。
確かに,新入社員の歓迎会など,公的な性格の強い会は出席が必要です。
でも,それだけでなく,何か口実をつけては,仕事帰りに「1杯どう?」となるもの。
いつも欠席していては,「付き合いの悪い人」と言われるかもしれません。
でも,いつも出席していると,確かに「ノリが良いヤツ」と言われて周囲からは喜ばれるかもしれません。
しかしその実,いつ誘っても来る人というのは,単に「便利なヤツ」でもあります。
キャラ的にも実はそんなに得していない。
むしろ,誘われた3回のうち,1回程度おつきあいしていれば,「付き合いが悪い」とは言われません。
それどころか,たまに参加する人なので,「おっ!今日は大丈夫なんだ!」と歓迎されます。
だったら,3回のうち2回分の飲み会の時間を,自分磨きにあてたらいい。
ぜひそうやって,自分磨きの時間を捻出してください。

2010年5月26日 (水)

鉄は熱いうちに打て! メシは熱いうちに食え! 学生よ,熱いうちに動け!

何事にも,旬があります。
「今しかない!」というタイミング,ということですね。
行動ということについて言えば,旬は,やろう!と思ったときです。
しかしそのやる気は持続するとは限りません。残念ながら。
「本は買った日が一番早く読める」と,以前読んだ,中谷彰宏さんの本に書いてありました。

行動力は,若さの証。
そしてその行動力の源は,熱い思いです。

旬は,やらなきゃ!と思った,「今」です。

2010年2月26日 (金)

「本気」

研究室に飾ってある(無造作に貼ってある?)詩です。
とあるお寺に立ち寄った際,一枚百円で販売していたものでした。
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「本気」

本気ですれば

たいていな事はできる

本気ですれば

なんでも面白い

本気でしていると

だれかが助けてくれる
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ネットで調べたところ,後藤静香先生という方の詩の一部でした。
学生が卒論で取り組むときに,ぜひ胸に刻んでおいてほしい言葉だなと思って,研究室に飾ってあります。

2008年9月 3日 (水)

それは,あなたにしかできないことですか?

先日,結婚式にお呼ばれしました。
研究室の卒業生同士の結婚第一号という意味でも,嬉しい結婚式でした。
その話も,いろいろと面白いエピソードがあるのですが,あまりプライバシーに関わる話題は出さないことにしているので,ここでは別の話を。
その結婚式で,3年半ぶりに会った卒業生から,こんなことを言われたんです。

「先生からよく何かするたびに問いかけられていた,『それは,あなたにしかできないことですか?』っていう言葉を,卒業した後も,いつも自分に問いかけながら仕事をしてきました。」

うーん…そう言われるまで,自分がそんな言葉を,彼女にしょっちゅう言っていたという自覚がありませんでした。正直。
でも,言われてみれば,確かによく言っていたかもしれません。
とっても頑張り屋さんで,それに人望も厚く,根性と気合いで頼まれ仕事をこなしてしまう子でした。
それはそれとして,たしか,修士論文のテーマを詰めていくときに,この問いかけをしていた気がします。

『世界に一つだけの花』に,「No.1にならなくても いい もともと特別な Only one」という,有名すぎるくらい有名な歌詞があります。
「もともと特別」なのかもしれませんが,でも,何が特別なのかを知る必要がありますし,その原石は磨かなければ光りません。
「自分にしかできないことは何か?」を自問自答し続けていくことで,「いま,ここ」での自分の役割が見えてくるのかなと思います。

とはいえ,彼女に指摘されるまでは,自分があまり意識的に話していなかった言葉でした。
何気なく言ったことが,意外に,学生の心に響いて,その後も残っていてくれることもあるんだなと,ちょっと嬉しくなりました。

…っていうか,ひでちゃん,あなたは,「あなたにしかできないこと」をいっぱい群大障害学生支援室にも残しておいてくれたと思いますよ。

2007年12月 1日 (土)

だったらオマエがやってみろ!

「ブログの女王」,眞鍋かをりさんのブログにありました。
http://manabekawori.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_70ca.html
つい,言いたくなる言葉です。
でも,この言葉を言われないようにするためには,相手の気持ちや立場を思って語りかける配慮も必要です。
真鍋さんは,インタビューをされる経験と,逆に,する側に回った経験とを重ね合わせながら,話を展開していました。
このあたりは,インタビュー調査をする私たちにも通じるところがありますね。

2007年10月25日 (木)

本は批判せずに読め

前回の「人の話は鵜呑みにしろ」の続編みたいな話です。
本は批判的に読めという人がいます。
しかし,これは実はかなり難しい。
私は,自分の論文を書くよりも,書評を書く方がはるかに苦手です。
相手の主張を誤読することなく読み込み,さらには(できれば)伝えきれなかった思いまでも取り込んで,「産みの苦しみ」を筆者と共感し,その上で,「自分だったらこう書く」とか,「こんな伝え方もできたのではないか」と筆者に伝えていく作業。
こうした作業が,「書評」に求められます。
しかし,相当専門分野が近かったりしないと,その第一歩である,誤読することなく読み込む作業の段階でつまずきかねません。
私自身,ちょっと分野が違ったり,新しい研究の方法論を学ぼうとしたりするための読書をする場合は,意図を理解することに集中します。
批判どころじゃ,ありません。

十分に読みこなすトレーニングが積んでいない人が,批判的に読もうとすると,その結果どうなるか?
単なる揚げ足とりにしか,なりません。
あるいは,独りよがりな批判。
揚げ足とりとは,本筋とは外れた,枝葉末節な部分の言葉尻を捉えた批判です。
独りよがりとは,「自分の知っているこういうことが,この本には書かれていない!」といった発想です。

文章を書く作業には,苦渋の選択が伴います。
あれも言いたい,これも言いたい,という,伝えきれない思いの中で,「これだけは伝えたい!」という何かを選び取る作業です。
だからこそ読み手も,その「伝えたい!」という思いをくみ取りながら読んでいかないと,その本の価値に気づかないまま終わってしまいます。

本をキッチリ読むこと。これ自体,トレーニングの産物です。
だからこそ,それができないうちは,筆者の真意をくみ取ろうとしながら読むことに専念したら良いと思います。
批判は,どうしてもしたければ,十分に読みこなせたときにだけ,共感的に,少しだけ,すればいいのだと思います。

2007年10月15日 (月)

人の話は鵜呑みにしろ

自分と違う考えに出会ったとき,私たちは,ついつい,「でも…」と言ってしまいます。
それって,例えば,「なるほど確かにそうですね。」と前置きをしていたとしても,実はまったく意見を聞き入れていなかったりします。
共感する意見に納得するのは,当たり前。
しかし,反対する意見に納得するのは,なかなか難しい。
それができることもまた,1つのトレーニングなのかもしれません。
そのための第一歩として,「納得」までできないのなら,納得していようがしていまいが,そのまま受け入れることから始めることも必要かなと思うのです。
とはいえ,これがなかなか難しいもんですけどね。←自分
ただ,私自身にとって幸いだったのは,聾教育という,手話だ口話だと,いろんな価値観が渦巻く中に身をおいて,たくさんのインタビューをこなしてこられたことです。
それも,学生の時に。
自分の考えとまったく異なる主張と出会うこともありました。
というか,自分自身が,模索中だったので,毎日のように,人に会う度に,いろんな価値観と遭遇しました。
でも,自分の意見と違ったとしても,まだ若輩者ですし,まずは聞いてみないことには,始まりません。
それになにより,インタビューは,自分の価値観を相手に説明する場ではなく,相手の価値観を引き出さないことには,データになりません。
そしてさらに重要なこととして,ただ単に事前に考えた質問項目を並べただけでは,相手はいろいろ話してくれないということもあります。
つまり,その話に,心から共感できていて,「なるほど!」と思ってうなずいてはじめて,相手が続きを話したくなる頷きができるわけです。
そのためには,単に相手の主張を「認める」ということではなく,相手の想いや考えを,相手の立場に感情移入して共感できなければいけないわけです。
それを,今日は口話主義の人,明日は日本手話導入を主張する人,…と,入れ替わり立ち替わり,行ってきました。
それぞれの主張を,どこかでまとめて整理する必要もあるわけですけど,そんなことは後だって良いのです。
その時その時には,目の前にいる人の論理や感情を,その人の視点,立場になって,共感すること。
調査を進めていく際には,これがとても重要でした。
そしてそれを実行してきた結果として,立場を換えて物事を見ていくことが,わりと得意になったのかなと思います。
望ましいのは,相手の話を,咀嚼して,飲み込むこと。
でも,それができないのなら,まずは,良い悪いの判断を後回しにして,まるごと鵜呑みにしてみることも大切ではないでしょうか。

2007年10月13日 (土)

失敗は,失敗のもと

失敗をしない,簡単な方法があります。
それは「新しいことに挑戦しないこと」です。
でも,それが「良い生き方」とはいえないですよね。

失敗しないと,その先の展開もありません。

「失敗してもいいんだよ。次に成功すれば。」とおっしゃる方も,しばしばいます。
でも僕は,「ずいぶん酷なこと言うなあ」と思います。
それって,「二度目の失敗は,許さない」って言ってるのと同じでしょう?

私の実感としては,失敗は一度したらしなくなるのではなくて,同じ失敗を
何度もしながら,だんだんしなくなっていくのではないかと思うのです。
10回中8回失敗していたものが,10回中3回に減っていく,みたいな。
失敗率が減っていくって感じでしょうか。
ですから,1回の失敗くらいで,ビビらせてちゃ,もったいないと思うわけです。
山ほど失敗すればいい。

そして,その実感を積んでいる人は,「新しいことにチャレンジできる人」です。
それは,「常に失敗に挑んでいる人」でもあります。
失敗をすれば,成功に変わるというよりは,失敗の後には,別の失敗に変わる。
ただ,失敗の質が変わってくるわけです。

自分にとってありがたかったなあと思うことは,周りの人が,身分不相応の
チャレンジの機会を与えてくれたことです。
もちろん,1回で上手くいくわけはありません。
でも,考えてみたら,身分不相応な失敗は,意外と責められない面もあるのですよね。
例えば,
学部の1年生,2年生の頃に,研究会に参加したら?
3年生で,卒論相当の調査をしたら?
今思うと,顔から火が出るような恥ずかしい失敗をたくさんしているのですが,
でも,たぶん,周りにいた人は,温かく見守っていてくれたんだと思うんですよね。
今でも,場違いな失敗をたくさんしているのだろうと思います。

1つ,失敗をするコツがあるとすれば,人より早めに失敗すること,でしょうか。
そのためには,躊躇せずチャレンジし,数をこなすことが必要なのかなと思います。

失敗は,新たな失敗につながります。
先に進んでいる人は,常に失敗し続けている人,です。

2007年10月 8日 (月)

「社交辞令」にするのは自分

立食パーティーのような席で,名刺交換。
「いつでも尋ねていらっしゃい。歓迎しますから。」と,エライ方が仰って下さる。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします。」と,返事。
でも,ホントに会ってくれるとは,あんまり思っておらず,挨拶だけして,名刺だけもらって,机にしまわれる。

久しぶりに友達にバッタリ出会ったとき。
「おー!久しぶりじゃん!元気?」と,しばし,立ち話。
で,決まったように,こう言います。
「今度みんなで会おうよ!」
「いいねーいいねー。」
…でも,「今度」は,やってきません。

こうしたやりとりは,至る所で転がっているもの。
いわゆる「社交辞令」か,それに近いもの(旧友再会のやりとりを「社交辞令」というには違和感があるかもしれませんが,次に会うことを本気で思っていなくても,そんな約束をするあたりは,本質的には,「社交辞令」でしょう)。

でも,図々しくても,相手が「エッ?」と思っても,こう言ってみると,違った展開になります。

「ありがとうございます。ぜひ,伺わせていただきたいです!大変お忙しいかとは存じますが,来週か再来週で,あいている日はございますか?」

友達同士なら,「いいねー,じゃ,いつごろがいい?俺,幹事やるからさ。」

たぶん,面食らったとしても,話は先に進みます。
その場でアポが決まらなくても,進む展開になります。
社交辞令は,自分が次のアクションを積極的に起こさない結果として,できあがるものだと思うのです。