2022年11月15日 (火)

ドラマsilentから…「聾者の役は聾者がやるべき」か?

【ややネタバレ注意】

なんと,5年ぶりの投稿です。

(投稿の仕方も,忘れてしまっていました…)

 

ドラマsilentが,はやっています。私も見逃し配信で追いつき,今は次が楽しみで毎週見ています。

とにかくよくできていると思います。セリフに構成に。

特に第6話は,必見!

これは,聴覚障害に関わる人,特に,聴覚障害学生支援や,聴覚障害ソーシャルワーカーは絶対見ないと。

「聞くね」という奈々のセリフは,本当に,名セリフ。思わずホロリ。

奈々のこの感性ですが,もちろん聾者で感受性が高くて,サポーティブな人もたくさんいますから,自然にあり得ると言えばあり得るのですが…私の経験的な感覚では,この行動って,自分も手話が分からない中で孤独を経験したことがある,インクルーシブ経験者のレイトサイナーが,手を差し伸べる感じなんですよね。

 

さてさて。

「聾者の役は聾者がやるべき」といわれます。その観点で,silentは聾者の役者も入っているのが評価されたり,でも主役級の想と奈々が聴者なのが残念,ともいわれます。

ですが。

想は,中途失聴者でレイトサイナー。ネイティブっぽかったら,むしろ変です。

「中途失聴者がやるべきだ」なら,わかりますが,聾者がやる方が難しいと思います。

そして奈々は?

聴者が演じるので,「ネイティブサイナーっぽくない」という指摘はあるのですが,では,例えば先天性聾者で,聴覚主導の聾学校幼稚部を卒園し,通常学校を経て,大学で聾学生との出会いから手話の世界に入っていったレイトサイナーというケースだったら?こういう人,とっても多いです。今や,大学は聴覚障害者が初めて手話と出会い,手話の世界に入っていく貴重な場になっています。

仮の設定ではありますが,そうだとしたら?

ネイティブっぽいくらい手話が熟達する人もいますが,そうではない人もたくさん。

なので,「ネイティブっぽくない」のは不自然ではない,ということになります。

そして,そう考えると,だからこそ,奈々の友人の聾者である美央が,初心者向けにわかりやすく手話をしているのに,それが想には痛い!という状況に深みが出てくる。つまり,美央こそがネイティブサイナーである意味が出てくる。

それと,手話教室。

聴者の先生と聾者の先生がいる。聴者の春尾先生,謎めいてますね。聾者との係わりで,何かあったのでしょう。たぶん。

そして,聾者の澤口先生に,君には壁を感じると言われる。この聾者も,ネイティブサイナーでないといけない。

手話教室の聾者の先生ですし,「壁を感じる」のセリフはネイティブの聾者だからこそ,活きる。

 

そう考えると,どうでしょう?

silentは,見事に,ネイティブサイナーでなければならない役どころを,ちゃんと抑えているといえるのではないでしょうか。

2015年12月23日 (水)

聴覚障害学生支援実践事例コンテスト,準優勝!

12月19日(土),毎年恒例の日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan)のシンポジウムでの実践事例コンテストですが,本学も昨年度に続き準優勝でした。

私は叱咤激励し、ダメ出し連発しただけで学生が頑張りました。
毎年、このコンテストがあるおかげで、「全国発信できる新たな課題は何か?」を学生たちが真剣に考え、自分たちのこれまでを振り返り、新たな課題を発見できます。
本当に、聴覚障害学生と支援学生が、このコンテストを通じて、大きく成長します。
振り返ると、いつも難しいテーマに挑んでいました。
思うに、群馬大学という大学は、今や、「自校の取り組み」を発表するだけでは、誰も褒めてはくれない大学なのだと思うのです。
昨年は、障害学生同士の助け合い(聴覚障害学生のテイクを肢体不自由学生がする、とか)。これは準優勝
一昨年は、「教育実習」。これは2度目の優勝!
そして今年は、「支援体制が整うことからくる矛盾」
…なんと挑戦的なテーマでしょう!
いわば、支援の「光と闇」の「闇」に挑んだわけです。
学生たちは、苦しかったことでしょう。
よく、このテーマを見いだし、そして発表してくれたと思います。
支援の必要な全ての授業にテイカーがつくこと。それは権利として必要なことです。
でも、それゆえに、友達が作りにくい状況が生まれる。
友達が手話を覚えてくれて、手話通訳をしてくれる。
それは嬉しいことだけれども、手話が苦手な人とも、直接話がしたい。
自分と話がしたい!と思ってくれる気持ちを大事にしたい。
…そんな時、サッと手話通訳をしてくれる友達が、疎ましく思えてしまったりする。
「みんなでわかるように頑張るから!」と言われ、飲み会に参加してみたものの、気を使ってくれたのは、最初の10分。話が盛り上がれば盛り上がるほど、放っておかれ、孤独になる…
「みんなが手話を覚えてくれて、『クラスに手話の輪が広がった!』」なんて感動話は、そこここにある。でも、現実はそんなに単純なものではないわけです。
何度お願いしても、裏切られる。それも、悪意はなく、仕方なく。ついうっかり。
いわば、「善意の抑圧」がそこにあるわけです。
そのうちに、お願いするのも疲れてしまい、愛想笑いを浮かべてその場をやり過ごす「スキル」(?)を身につける。
…しかしそれは、スキルと呼ぶにはとても悲しすぎます。
それでも、それでもやっぱり、聴覚障害学生が誇りある自分でい続けるためには、「嫌なこと」を言い続けなければならないのだと思います。
そして、お互いに不満をぶつけ合って、喧嘩したり、それも、泣きながら喧嘩したりしながら、そしてまた失敗したり、悪意のない「裏切り」をされてショックを受けたり、逆に、してしまって反省したりを繰り返すことができた中に、聴こえる/聴こえない、を超えた、本当の親友ができるのだと思います。
こうした過程は双方にとても辛い産みの苦しみをもたらします。
でも、それを乗り越えて、「かけがえのない友情」を育んだ関係も、時々見ることができます。
そんな時、「この世界で教育に携わっていて良かった!」と思ったりします。
群大生の皆さん、素晴らしい発表を、ありがとう!
あとは、プレゼン力を、もうひと工夫ですな!(笑)

2014年4月22日 (火)

聾学生が行う情報保障

聾の先生と一緒に開設している教養科目「手話とろう文化」。今年度で4年目になります。

今年度も100人ほどの学生が受講してくれました。そしてそこには様々な障害学生も受講してくれています。聴覚障害学生も、手話がわかる学生もいればこれから覚えようとする学生もさまざま。多様性のある教室です。
前半の講義は主に私が担当(聾の先生が担当することもあります)。後半の日本手話の実技は聾の先生が担当(通訳はありません)。
そして講義の情報保障の方法として、今年度は、あえて聾の学生にPCテイクをお願いしました。一年前にこの講義を受講してくれた、2年生のYさんです。私の声なし手話が誰にとってもわかりやすいかどうかはさておき、日頃から頻繁にコミュニケーションをとっている間柄。一昨日初めて実施しましたが,完璧な読み取り通訳でした。手話を読み取ってタイピングし、プロジェクタ投影する方法なので、逐次通訳にはなりますが、これなら,手話がわからない学生は,聴学生も難聴学生も,皆が理解できます。そして聾学生は,手話を見ていち早く情報を得られるわけですから,「いつもおかれている状況と逆の体験ができた。不思議な感じで新鮮だった」との感想。
通訳をしてくれた聾学生にとっても自信になったでしょうし,受講生にとっては,「障害の相対性」を理論だけでなく実感をもって受け止められた様子。リアクションペーパーに書かれた受講学生の感想にも驚きが溢れていて,手応えを感じました。中には「あの聾の先輩学生は,通訳をして何年になるのですか?」といった質問もあったので,受講生から見ても,十分に上手な通訳ができていたのでしょう。
これは手話話者の聾者であれば誰でもできることではなく,十分に早いタッチタイピングの能力と,高度な日本語の能力も要求されること。Yさんに感謝!

2014年3月26日 (水)

障害学生支援のその先…「当たり前」の大学生活へ

群馬大学では,これまで何人もの聴覚障害学生を受け入れ,そして送り出してきました。ただ,その多くは通常学校出身の聴覚障害学生でしたし,手話ユーザーである聾学校卒の聾学生は,大学院か専攻科に在籍していました。

そして昨日,群大で初めて,聾学校卒の聾学生が,同級生とともに4年間の学びを終え,無事,卒業式を向かえました。

学部生の場合,サークルや友人同士の関わりがとても大事ですから,授業の情報保障そのものよりも,話ができる友人をいかに作り上げるかが学生生活の鍵。

幸い,1年生のスタートの時から,あっと言う間に手話を覚えていく仲間に恵まれました。

そして昨日。

卒業式は公式の場ですから壇上で手話通訳が行われましたが,その直後の卒業祝賀会では,本人は情報保障を依頼しないと言う選択をしました(これも教育学部全体で行われる行事なので,これまでは障害学生サポートルームが通訳を派遣していました)。

要は,いつでも,たまたま隣にいる友人が,サッと手話通訳をしてくれる環境ができあがっていたということ。祝辞等々の挨拶も,事務連絡も。それも,「手話が上手い人が通訳をする」のではなく,本当に,たまたまそばにいた友人が。

私の認識では,決して手話が上手い方ではなかったような…という学生たちが通訳をしている様子に,驚きとともに感慨深い思いがこみ上げてきました。

そして夜の謝恩会。専攻内の内輪の会なので,学生相互の手話通訳で進みました。4年間の思いでの詰まった写真や動画のスライドショーの上映では,動画には色分けされた字幕あり,音楽には歌詞の字幕有り。そうしたことが,「特別な配慮」ではなく,当たり前に用意されていることにも,ちょっと感動。

最後の,学生代表の挨拶では,これまた必ずしも手話が上手い方だとも思っていなかった学生Oさんが,(おそらく前もって一生懸命練習して?)長い長い想い出話と教員や仲間への感謝等々のこもった挨拶を,手話付きでスピーチ。途中途中,何度もこみ上げてくる涙を堪えての挨拶に,学生みんな,そして私までウルウルきてしまいました。

謝恩会で学生みんなが泣き出してしまうのは,時々ある光景ですが,自分の涙腺も刺激されてしまったのは,14年間の大学教員生活で初めてだったかもしれません。

ちなみに,最後の挨拶が聾学生ではなかったのは,幹事の学生曰わく,「あいつがしゃべったら,当たり前すぎて面白くないし。(笑)」とのこと。つまりは,聾学生が「お客様」になってしまうのでもなく,はたまた,聾学生だから「あえて前に立つ」のでもない,そのさらに先に,すでに彼らの世界はたどり着いていたということなのでしょう(実際,当該聾学生は,一年生の時からPEPNetのシンポジウムなど,いろんな表舞台に立ってきた学生でしたし)。

そして二次会はカラオケ。みんなで手話付きで踊りまくっていたり,ファンモンの「あとひとつ」では,聾学生が前に立って手話で歌ってみんなが音声で合唱したり。最後は合唱曲の定番「旅立ちの時」を違和感なく聾学生も一緒に。こうしたことが,ごくごく普通に,いつものこととして繰り広げられていたわけで,彼らにとっては,しょっちゅう,こんな感じで,4年間,騒いできたんだなと納得。一般論的には手話コーラスに疑問を呈したりもしている私ですが,「まあ,これはこれで,ありかな」と思えたり。(^^ゞ

「あとひとつ」を聴くと,日本シリーズ最終戦でのまーくん登場の場面を思い出すのですが,これからは,この曲を聴く度に,あの日のカラオケ大合唱を思い浮かべてホロリときそうな気がします。

大学生活って,友達とケンカしたり,恋愛で振ったり振られたり,付き合ったり別れたり,時には真面目に将来のことで語り合ったり,熱くなって議論が白熱したり,そんなことの積み重ねだったりするもの。その,ごくごく「普通」の大学生活の中に,何ら「特別」さを感じさせることなく,聾学生も溶け込んでいたこと。さらに言えば,スライドショーでの写真の出演回数の多さから見ても,溶け込むどころか,輪の中心部分の一人でいたこと。この,「当たり前のこと」が総合大学という環境の中で実現できた。そんなことを,4年間の最後の1日に改めて確認できた。そんな君たちと一緒に過ごし,そして今日を迎えられたことで,一つの大切な仕事が節目を迎えた気がするよ。…と,そんなことを,最後に,研究室のゼミ生とで高崎のBarで語り合って,長い1日が終わりました。

情報保障は障害学生が授業を受けるための正当な権利の保障であり,これに応えることは大学としての最低限の責務。それを果たすことは美談でもなんでもなく,できて当たり前。でも,聾学生にとって本当に大切なことは,「この大学に入って良かった!」と思って卒業できることだと思うのです。それは,一生の宝物となる,仲間たちと出会えること。大学という場は,人の集合体ですから,人との繋がりの中にいられてこそ,「ここが自分の第二のふるさと」と思えるのではないでしょうか。

私にとっては、拙著『手話の社会学──教育現場への手話導入における当事者性をめぐって』を8月に上梓したばかりでもありましたから、研究と実践と,同時に節目を迎えた思いです。

さて,そんな群馬大学にも,今や,聾学校卒の聾学生が在学生に2人。さらに新入生にも,複数名入学予定。時代はさらに変わっていくのでしょうね。

2013年12月30日 (月)

「PEPNet-Japan」シンポ群大で開催,そして内閣総理大臣顕彰! …2013年の大きなできごと その3

今年の大きなできごとの3つめは,私が設立準備段階から関わり続けていた,日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan)に関することです。

PEPNet-Japanでは,毎年シンポジウムを開催しているのですが,第9回目になる今年のシンポジウムを,128日に群馬大学で開催することができました。

さらにその翌日の9日,なんとPEPNet-Japanが内閣総理大臣顕彰を授与されました。

 

私が群馬大学で聴覚障害学生支援に直接携わり始めたのは,教育学部障害児教育専攻に重度の聴覚障害学生の入学が決まった2003年から。

以後,群馬大学内で,聴覚障害学生の支援体制構築に奔走することになります。

その意味では,2003年以降の私の大学生活は,研究者としても,実践者としても,「聴覚障害学生支援」を抜きには考えられないものになっていきました。

本当に,考え得るあらゆる可能性を排除せずに進めてきた気がします。当初はたまたま巡ってきた仕事に過ぎなかった聴覚障害学生支援が,その後,自分の博士論文の主要な一部を構成することになり,そのおかげでなんとか博論が完成に至ったわけですから,人生,わからないものです。

一方,PEPNet-Japanが正式発足したのが,200410月の第1回日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク関係者会議。この設立に向けて,下準備的なところにも呼んでいただいて,関わらせていただいたわけですから,私にとっては,学内での支援体制作りとほぼ同時並行で,PEPNet-Japanとの関わりが進行していったことになります。

PEPNet-Japanで中心的に関わってきた事業は,支援体制構築マニュアル作りでした。これこそまさに,聴覚障害児教育を研究テーマとしつつも,会議の場での合意形成のされ方に注目した研究をしてきた私にとって,とても関心の深いテーマでしたし,自分の専門性が活かせるテーマでもありました。また,群大での支援体制構築の実践を進めながらでしたから,自分の実践をそのままPEPNet-Japanの事業に活かせる面白さもありました。そしてその逆もあり,PEPNet-Japanの事業で得た知識を活かして自分の実践をさらに良いものにしていくこともできました。

 

立ち上げ当初は,どちらかというと,「聴覚障害者支援に関する専門家集団」的な組織だったPEPNet-Japanも,時間の流れとともに少しずつ性格が変わってきている気がします。今は連携大学の代表者も,必ずしも聴覚障害が専門である人が集まっているわけでもありませんし,どちらかといえば,「聴覚障害学生支援を全学的・組織的に進めている大学の集合体」といった性格の組織へと変化していったように思います。

 

そして今年で第9回目を向かえたシンポジウム。参加者は年々増加し,今年は過去最高の400人越えでした。

シンポジウムでは,前日の群大見学ツアーと学生交流企画も含め,学生たちが頑張ってくれました。

群大の聴覚障害学生支援の特徴は,支援学生よりも聴覚障害学生の方が中心になり,ものごとを動かしていくところ。一言で言えば,「Deaf Centeredな大学だ」とのことです。特に私自身がそれを強く意識したわけではなかった気もしますが,整えた情報保障に甘んじることなく,その支援を最大限に活かして,「自分が何をすべきか?」を考えられる学生に育ってほしいと思って日々学生に関わってきたことが影響してきたのかもしれません。

障害学生支援は,そもそも憲法で保障されている学ぶ権利の保障ですから,キチンと必要なことは行って当然。そして「手厚い支援は学生への甘やかしにならないか?」という批判には,実践で応えていかなければなりません。つまり,必要な支援を受けつつ,自分がすべきことを自ら見いだし,切り開いて行く力を養うという実践で示していかなければなりません。

 

今回のシンポジウムも,まさにDeaf Centeredな様子がよく現れていたと思います。前日企画については,ほとんど私は口出しせずにいました。そしてシンポジウムを週末に控えた週は,連日夜遅くまで準備をしていたようです。「このシンポジウムをきっかけに,さらに聴覚障害学生同士の絆が深まった!」とも言ってくれました。そして本当に,このシンポジウムを通して学生が成長したと思います。

そして,毎年恒例となった実践事例コンテストでは,特に群大のそうした特徴が顕著に表れていました。

1年生と4年生の2人の聴覚障害学生が中心にプレゼンをし,聞こえる学生と音声の明瞭な難聴学生それぞれ1名ずつが読み取り通訳。そしてもう1人の聴覚障害学生が,手話のわからない聴覚障害学生に備えてブギーボード(電子筆談ボード)を片手に持ちつつ資料を配って呼び込み。

取り上げたテーマは,「教育実習」という,情報保障が最も困難なテーマ。そこで,聴覚障害学生自身が何を悩み,どうやって乗りきってきたのかを発表してくれました。

準備から当日まで,ギリギリまで悩み,相談し,そして実行していった甲斐もあり,発表の結果は最優秀賞であるPEPNet-Japanをいただくことができました。開催校ですから参加者の印象には残ったでしょうけれども,純粋に得票数で決まるものですから,学生たちには胸をはってほしいと思います。3年ぶり,2回目の最優秀賞受賞です。

おかげで,シンポジウムの有終の美を飾ることができました。

 

そして偶然にもシンポジウムの翌日,PEPNet-Japanが平成25年度バリアフリー・ユニバーサルデザイン推進功労者表彰において,最高位の賞「内閣総理大臣表彰」を受賞しました。首相官邸にはPEPNet-Japan代表の,筑波技術大学学長の村上芳則先生と,PEPNetシンポ運営委員長の愛媛大学教授の高橋信雄先生が出席され,安倍晋三内閣総理大臣から直接賞を頂きました。

日本の聴覚障害学生支援は障害学生支援の牽引役を果たしてきたといっても過言ではありません。日本の障害学生支援をリードしてきたPEPNet-Japan。僅か数人で構想を練って立ち上げに至ってから10年。ここまで大きく成長するとは,立ち上げの当時,誰が想像し得たでしょうか。

実に,感慨深いものがあります。

 

私の聴覚障害学生支援に関する見識も実績も,PEPNet-Japanの成長とともに少しずつ積み上げてきました。

PEPNet-Japanなくしては,それこそ私の博士論文も完成し得なかったでしょう。

そのように考えると,この12月のシンポジウムと内閣総理大臣顕彰は,私にとっても,一年の締めを飾るのに相応しいイベントでした。

 

PEPNet-Japanを支えてくれた関係者の皆様に感謝!

共に築き上げてきた仲間に感謝!

 

そして今年一年間,関わりのあったすべての皆様に,心から御礼申し上げます。

ありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

2012年10月 2日 (火)

「学ぶ権利の保障」とは?

92830日に,日本特殊教育学会第50回大会が開かれました。

そして29日の午前中には,学会企画シンポジウムとして「大学における障害学生支援の現状と課題〜研究と実践の視点から考える支援Qualityの向上〜」が開かれました。

障害学生支援のテーマがついに学会企画になる時代を迎えたんだなぁと,ちょっと感慨深く思いつつ,参加。

しかし,内容的にはちょっと消化不良で残念でした。

今,まさに時代の変わり目。

障害者権利条約の批准に向け,めまぐるしく動いています。

「権利」条約ですから,障害者支援は,今や,権利保障の問題として語られなければなりません。

昨年85日からは障害者基本法が改正されました。

そして今年6月からは,文科省高等教育局に「障がいのある学生の修学支援に関する検討会」が開かれており,高等教育で求められる合理的配慮のあり方についての検討が始まりました。

今回のシンポジウムの企画者のうちのお二人は,この検討委員でもあります。なので,司会進行自体は,そうした時代の流れを踏まえて「権利性」を意識しておられました。

しかし,シンポジスト,そしてフロアの聴衆が,果たしてそうした時代の変わり目を意識できたかどうか? ここに大きな問題性を感じた次第です。

特殊教育学会ですから,その道の専門家集団のはず。そしてテーマは高等教育機関での障害者問題ですから,自分たちの足下の問題です。そこが揺らいでいるのは,なんとも,言葉が出ません。

 

シンポジストの発表を一通り聞き,多くの発表が時代の変わり目を全く意識していないものだったことに多少いら立ちを覚え思わず質問をしました。おおよそこういう内容でした。

 

「障害者権利条約への批准に向けて,文科省でも検討が始まった状況を踏まえると,障害学生支援は『学ぶ権利の保障』という観点で考えていく必要があると思います。ということは,保障ができなかった場合には,大学には一定の責任が発生するのではないか。そこで,大学の責任についてどのように考えるかについてご質問します。

教員の都合で授業を休講したら,補講するのは教員の責任です。学生がサボったら,学生の責任。では,ノートテイカーが来なかった場合はどうなるでしょうか?」

 

ところが回答は,「うちの大学では,ピアサポートの意義を重視しているため学生自身がテイカーを探すようにしている。とはいえ,それは学生に責任を押し付けるわけではない。見つからない場合はセンターの方で責任を持って探す。」というもの。

 

意図が伝わっていないと思ったので,再度質問。

「お尋ねしたいのは,それでも見つからなかったらどうするか,ということです。群馬大学でも障害学生サポートルームでコーディネートをしていますが,それでもどうしてもテイカーが見つからないという事態は,絶対発生しないとは言えないものです。テイカーがうっかり忘れてしまうことも,体調を崩すこともありますし。聴覚障害学生にとっては,テイカーがこないということは,教員が来ないのと同じことで,一大事なわけです。その時に大学としてどう責任をとるべきか,という質問です。」

 

すると,しばらく考えこまれた後で,「そのような事態はうちの大学ではなかなか考えにくいので…ただもし誰もテイカーがいないということになれば,近くにいる他の学生がなんとかサポートしてくれると思う。それは本来のノートテイクよりも質は落ちるかもしれませんが」とのお返事でした。

 

うーん,やっぱり意図は伝わらないなぁと思ったのですが,これ以上は全体に迷惑ですし,場にそぐわない気もしたので,質問を打ち切りました。

 

お答え下さった先生の名誉のために補足しますと,この先生,とても良い先生ですし,尊敬もしています。気さくな方ですので,ありがたいことに,年齢を超えて,腹を割っていろいろお話しができる先生です。そして,これまでの障害学生支援を牽引してきた立役者の中の1人でもあります。その働きには100%の敬意を払いつつ,あえてその先の課題に目を向けなければならない,そんな時代を迎えていると私は考えています。

ここに,1つの落とし穴を感じました。

それは,これまでの障害学生支援を牽引してきた人,あるいは「先進的」な大学ほど,学生同士の「ピアサポート」「助け合い」をよしとして支援体制を発展させてきた歴史があるわけです。しかし,学生同士の「助け合い」と,「学習権の保障」とは別問題。今まで実践を積み重ねてきた分,かえって頭の切り替えが難しいのかもしれません。

 

私が質問として問いたかったのは,「テイカーが配置できない」という事態が発生しないように大学として責任をもつ,ということではありません。それは責任をもって当然のことです。問いたかったのは,最大限努力してもなお,「テイカーが配置できない」事態が発生した場合に,その配置できなかった分の授業の補償をどうするのかということです。

 

皆,授業料を払って受講しているわけですから,「1人の学生くらい,たいした問題ではない」ということではないはず。

これ,民間のサービスに置き換えたら,当然のことです。

例えば,ライブチケット。お客さんが一万人いたら,一人や二人くらい,壁で遮られて全くアーチストが見られない席に案内してもいい,という話ではありません。

あるいは,レストランで割引券を使ったから,そのお客さんへの対応がずさんだったり,おいしくない料理でいいはずもありません。

どのお客さんも,同じように客としてのサービスを受けられなければいけないわけです。

*なお,ライブのチケットの場合,場所によっては見えにくい席になる可能性があることは,事前に断り書きがあります。そして実際,私の経験でも,日本武道館で,視界の3分の1が壁で遮られていた席だったこともあります。それは事前に断り書きがあることもありますが,まあ,許容範囲なのでしょう。見えないわけではないですし。しかしその一方で,こんな経験もあります。大学生の時,横浜アリーナでの長渕剛のライブを見るべく,バックステージ席(ステージの裏側で,基本的にはアーチストの背中を見続ける格好になる)を,バックステージ価格で購入した際のこと。当日,行ってみたら,「バックステージ席の人たちは席が変更になりました」と掲示されていて,何とその席は,アリーナ席(一階席)の最もステージ寄り!その理由は,当初予定を変更し,ステージの後ろ側に壁を立てる形にしたので,バックステージ席からは完全に見えない形にしてしまったため,とのこと。これが,「補償」ということなのだと思います。

 受講生の中で,大学側の不備により,授業が全く聞けない学生が発生した場合,何らかの「補償」をする責任が発生するはず。教員が個人的に指導するなり,方法はいろいろ考えられるでしょう。

 さらに言えば,その補償をすることなく,しかもその授業の範囲が試験に出て,それが回答できなかったために,評価が低くなってしまったら,それは誰の責任なのか。成績評価,単位認定は大学にとって最重要事項の1つですから,それがいい加減であってはまずいはず。

 

 さて,しかしながら,こうした議論はこれまでキチンと交わされてこなかったと思います。私自身も含め。でも,こうした議論をしてこなかったこと自体が,「障害学生は十分な情報が得られなくてもしかたがない」と大学が思ってきていたことの表れであり,学ぶ権利の保障を真剣に考えていなかったことの表れでもあると思うのです。

 今まではともかくとして,今議論すべきことは,権利条約の批准のために,「どのようにして障害学生の学ぶ権利を保障するか」ということ。それは,「大学の責任」を真剣に問う作業でもあるのだと思います。

 

 その一方で,「合理的配慮」は「実施に伴う負担が過重でないときは」という条件が付いているではないか,という反論もあるかもしれません。

 それに対しては,こう逆に問いかけたくなります。

 例えば手書きのノートテイクは,話し言葉の2割程度しか文字化できません。全ての授業にノートテイクをつけたとしても,2割の情報しか得ていない状況をもって,そもそも「権利が保障されている」と言えるのか?と。手話通訳であっても,スキルが十分でなければ,授業の情報は十分には伝えられません。PCテイクでも,誤字を含んでいたり,情報量も8割程度だったりします。いずれも情報保障者のスキルに大きく依存しますが。

 「情報保障が用意されていたとしても,聞こえる人たちと同レベルの情報が保障されているわけではない」ということ。この問題にしっかりと目を向けておかなければなりません。

 

「聞こえる学生と同等の文字量で,誤字もない形で文字化すること」は,今の支援技術の水準からすれば,不可能ではありません。しかしそれなりのコストも人員も必要になります。それを全ての授業において要求することは,現時点では「過重な負担」と言えるかもしれません。

 

 …でもみなさん,考えてみてほしいのです。

「本来受けるべき授業に,(残念ながら)必ずしも十分な質が保証されているわけではないレベルの情報保障が,とりあえず全て配置されていること。」

これは「過度な負担」を求める贅沢な要求なのでしょうか?

私には,これは現時点での最低限の「学ぶ権利の保障」であり,これすら下回ってしまうことは,大学が果たすべき責任を放棄していると思うんですよね。

 ぜひ,全ての大学が,一刻も早く,とりあえずこの最低限の水準に到達することを願いつつ,学会のシンポジウム会場を後にした次第です。

2010年8月10日 (火)

『一歩進んだ聴覚障害学生支援 ──組織で支える』刊行!

最近めっきり,ブログの更新を怠っています…簡単なつぶやきは,Twitterで済んでしまうせいもあるかもしれません。
さて,2年ぶりに,「研究業績」を更新しました。

特筆すべきは,『一歩進んだ聴覚障害学生支援 ──組織で支える』(生活書院、全219頁)を刊行したこと。
大杉豊先生と2人で編集をしたという形になっていますが,実際は,筑波技術大学内のPEPNet-Japanの優秀な事務局員の方々の手によってまとめられたようなもの。
そしてこの本は,PEPNet-Japanの「第3事業」として,5年の歳月を費やして作成されたものです。

私自身は,以下の3つの執筆をしています。
第1章「大学の集団意思決定 システムとつきあう」(単著、14〜37頁)
第 3 章第 1 節「初動時の予算」(共同執筆、82〜87頁)
第3章第2節「予算確保に向けて」(共同執筆、88〜95頁)

聴覚障害学生支援の方法について書いた本はこれまでにもありましたが,支援体制の構築にスポットをあててまとめた本ははじめてなのではないでしょうか。

すでにお読みいただいた方々からも,「いきなり『会議の進め方』から始まっているのが,意表をついて,面白い!」との感想を寄せていただきました。

みなさま,ぜひぜひ,手にとって下さいませ。

2010年4月 7日 (水)

群大聴覚障害学生支援リニューアル!

昨日は入学式でした。
無事に,聴覚障害のある新入生もよいスタートが切れたようで,なによりです。

さて,群馬大学の聴覚障害学生支援の場所とスタッフに変更がありました。

今年度から,群大で初めて,聾者のスタッフが加わりました!
これで,学生たちが手話を覚えてくれたらいいなと思っています。
他にも,聾者でなければわからないこと,たくさんありますから,本当はもっと早くから実現させたかったことですけど。

そしてちょっと引っ越しをし,かなり広くなりました!
建物が古く,ちょっと暗い廊下を通って行かなきゃならないのが難点なのですが…
これで,講習会にも,機材のメンテナンスにも,不自由しません。
なにしろ,学生さんが集まって話し合いができるスペースができたことは,すごく可能性が広がります。

そして工学部にも,障害学生支援室ができました。
こちらは,やや狭いながらも,新しい建物なので,明るくてきれいです。
今までと異なり,個室があることで,聴覚障害のある学生さんが立ち寄りやすくなったようで,よかったよかった。

そんなわけで,ぜひ皆様,お近くにお越しの際には,お立ち寄り下さい!

2010年4月 6日 (火)

情報保障ツールとしてのiPhone

新年度が始まりました。
支援室は新体制になり,いろいろとニュースもあるのですが,ひとまず昨年度の振り返りを。
昨年度は,大きく支援室の支援体制が強化された年でした。
職員が4名体制になり,荒牧と桐生の2つのキャンパスでの情報保障の質を大幅に引き上げました。
特に,桐生キャンパスでの支援は,大きく変わったと思います。
(支援室職員の皆様,感謝!)

昨年度実施したことの中で,とりわけ印象に残っていることの1つとして,情報保障ツールとしてのiPhoneの運用があげられます。
これは,筑波技術大学の三好先生の技術支援と,ソフトバンクモバイル株式会社さんの機器提供のもとで実現にいたったもので,筑波技術大学,NPO法人長野サマライズ・センター,群馬大学,東京大学,ソフトバンクモバイル株式会社の5機関による共同研究で実施しました。

これを実際に使用して情報保障を行った聴覚障害学生からは,「4年間の情報保障の中で,最もインパクトがあった!」との感想を得ることができました。

大きな特徴としては,
・小さい→ノートの上や脇にちょこんとおける。目立たない。
・移動しながら見ることができる。
・音声通話機能と字幕表示(Webブラウザ)が同時に利用できるので、遠隔地に音声を送信しつつ字幕を受けることができる。
・操作が簡単
といったところでしょうか。

当初予定しなかった意外な発見としては、移動を伴わない授業場面であっても、使い勝手がいいということ。
机の上の、ノートの脇におけるので、字幕を見ながらノートがとれるので、PCで表示するこれまでの方法よりもむしろ目線の移動が少なくてすむのがポイント。
そして小さくとも近くにおけるので、文字が小さめでも意外と見るのに苦にならないようです。

もちろん、移動を伴う場面では、本領を発揮しました。
特に、知的障害特別支援学校での教育実習では、子どもの動きにあわせて移動しながら、アームバンドにつけたiPhoneで字幕を受け取れますし、加えて、遠隔地から字幕を送っているので、教室を移動しても大丈夫。
他にも、体育館での「身体表現」の授業でも活躍しました。
このときは、3Gによる遠隔地配信ではなく、PCテイカーは同じ体育館にいて、無線LANで字幕を送りました。音声はFMトランシーバーで。

今は試していませんが、防水のジャケットもありますから、プールでも使えるでしょうね。

群馬大学ではこれまでも、文字による情報保障を行う場合には原則的にPCテイクを採用してきました。
手書きのノートテイクは、PCテイクがどうしても難しい場面だけ、やむを得ず用いるといったくらい。
iPhoneの登場により、「やむを得ず」の状況がほとんどなくなりました!
あえて言えば、機械やネットワークにトラブルが発生した時くらいでしょうか。

それともう1つ、注目に値することがあります。
遠隔地で字幕を受けるわけですから、教室内には支援者はいません。
ですから、遠隔地とのやりとりも、教室内で必要に応じて先生にマイクを渡したりすることも、すべて聴覚障害学生自身が行わなければいけません。
このことが、結果的に、聴覚障害学生自身が情報保障に主体的に関わることを促すことになったわけです。
つまり、iPhoneが、「エンパワーメント」の道具になったということ。

その一方で、逆に目立たないという特徴に注目すれば、まだ障害を人に伝えたくない…という学生への支援にも有効です。

消極的な学生への支援にも、積極的な学生への支援にも、どちらにも有効だといえます。

さて、2月から3月にかけて、たて続けに、iPhoneが大活躍しました。

ある時は、聴覚障害のあるお子さんの、中学校の卒業式で(無線LANで通信、テイカーは群大の学生)。研究室の学生の妹さんの情報保障ということで、学生が使い方を必死で覚えて、リハーサルも何度もやって、本番に臨んだそうです。

またある時は、卒論発表会と、その後の研究室の打ち上げで。
打ち上げでの情報保障は初めての経験で、聴覚障害学生は「話の幅が広がった!」と感激していました。遠くの席の雑談が字幕に飛び込んでくるわけですから!(テイカーは大変だったでしょうが…)

さらに、草津温泉で行った研究室の春合宿の、卒論検討会でも。
合宿はほとんど遊びですが(笑)、ちょっとは真面目な時間もあるのです。でも、その時間だけのために、大学からテイカーを呼び寄せるわけにはいきません。でも、iPhoneがあれば、問題解決。
荒牧キャンパスにiPhoneで電話をかけ、そして荒牧キャンパス内でテイクしてもらった字幕をiPhoneに送ってもらいました。複数のiPhoneがあったので、表示は同時に複数箇所で。話し手にも見てもらいながら、聴覚障害学生が別のiPhoneを見る、みたいなこともできるわけです。

そして締めくくりは、卒業祝賀会!
晴れの舞台くらい、友だちと乾杯したり、好きなようにおしゃべりしたいもの。
でもその一方で、祝辞やら出し物やらはありまして、その内容も知りたい。
ということで、iPhoneはここでも大活躍でした。
写真、載せます。

おっと…もちろん、iPhoneも大活躍ではありますが、遠隔地で文字入力するのは、通常以上にテイカーに負担がかかります。なにより大活躍してくれたのは、テイカーさんですね。心から感謝!
Iphoneiphone


Iphone


2008年7月11日 (金)

遠隔地連係入力による聴覚障害学生支援

 群馬大学では,桐生キャンパスの工学部在学の聴覚障害学生への支援の方法として,荒牧キャンパス在学の登録テイカーを活用したIPTalkのキャンパス間連係入力を開始しました。

 方法ですが,1人は桐生キャンパスの教室内にいて,もう1人は荒牧キャンパス内の障害学生支援室にいて,連係入力をします。この方法が最も人件費の削減に貢献するだろうと考えてのことです。当たり前の話ですが,人件費の削減といっても,「遠隔地支援を行わない」という選択以上に削減することにはなりません。セッティングを双方のPCテイカーが行うことで,同一教室内で連携入力を行う方式(すなわち群大での通常の方式)と変わらない人件費におさめるという意味です。

 音声は内線電話をSoundStation2(音声会議システム)につないで接続し,VPNルータを使ってIPTalkのLANを組みます。
 Skypeを使って映像配信もします。音声もSkypeを使う方法も検討していますが,キャンパス間で連携入力を行うので,まずは最も音声遅延の少ない方法で実施することにしました。

 このことについて,7月9日の毎日新聞で取り上げてもらいました。
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20080709ddlk10100122000c.html

 当初,「システムの新しさ」について,記者の方は繰り返し質問をされたのですが,こちらとしては,IPTalkをはじめとする,先駆者の作られた技術に乗っかる形でシステム構築をしましたし,遠隔地配信の技術自体は筑波技術大学さんなどでの事例もありますので,「システム自体は何ら新しくもない」ことを強調する必要がありました。
 むしろ,今回の事例に新規性があるとすれば,特別な研究費などの予算によらず,通常の障害学生支援の経費の範囲内で,恒常的な運用を行ったことにあると思います。
 同一大学内で,支援体制に濃淡(記事では「ボランティアの偏在」との表現になっています)があり,学内問題としてそれを解消するための一手段として,遠隔通信技術を活用した,ということです。

 記者さんも,相当ご苦労されたと思います。内容について,若干は事実と異なる部分もありますが,大筋は外していないと思います。

 ちなみに主な修正箇所としては,以下の4箇所です。
・謝金を払っているので,「ボランティア」ではない。
・教室内で通常行っているネットワーク接続は教室内で使用するPCのみのネットワーク。
 今回の事例はインターネットではないのですが,学内LANを経由します。
・音声送信に使う電話回線はデジタルではなくアナログ。
・「全国初」というのは,遠隔地支援の「運用」自体が全国初なのではなく,同一大学内の障害学生支援に恒常的に用いる方法としては,という意味です。他大学支援の運用例は,筑波技術大学さんが実績を積み重ねていますし,同一大学内での運用でも,研究費を使った運用では,これまで群大でも実施してきましたので。
 今回のポイントは,通常の支援予算の中で実現する点にあると思っています。

 あくまで,遠隔地支援が目的なのではなく,支援が必要な授業について,きちんと情報保障がつけられることが目的です。今回の遠隔地支援の事例がきっかけで,他大学でも同様の試みが始まることを願っています。