2016年8月 1日 (月)

「ろうを生きる 難聴を生きる」出演!

7月30日(土)の「ろうを生きる 難聴を生きる」に出演しました。

なお,再放送は,8月5日(金)午後0時45分からです。

この番組に出たのは,これで4回めになります。最初は(なぜか)読み取り通訳者として,声の参加。(諸事情ありまして…笑)
次が,京都大学で開かれた音声認識字幕のシンポジストとして。音声同時字幕システムの群大での運用の報告をしている様子を。
3回めが,群大の聴覚障害学生支援の特集。解説者としてスタジオ出演。この時に,松森果林さんと初めてお会いしました(懐かしい!)。
そして今回は,研究室での撮影。実際はいろいろと話しをしたのですが,その中で,わかりやすくインパクトのあるところが切り取られた形です。
そもそも大きな,難しいテーマを15分にまとめるわけですから,編集される側も相当ご苦労があったことと思います。なので,短く削られてしまったこともやむを得ませんし,その編集作業に敬意を払いこそすれ,批判をするつもりはありません。
…ただでも,口話法の成功する要因は,附属聾副校長(当時)の馬場先生(1996)が,13の条件がある,と指摘しているわけですし,私も打合せ段階では特に4つあげました(残存聴力,失聴時期,家庭環境,知的な能力)。それを,知的な能力(知的障害の有無など)は削りましょうということになり,撮影。でも,結果的に編集後に残ったのは,残存聴力と失聴時期だけになっていました。これもやむを得ないとは思いますが,これだけと思われると誤解が起きるかなぁとも思った次第。

スタジオテイクは,基本,一発撮りなので,喋ったことがそのまま放映されます。ある意味,自己責任(それはそれで,失敗すると凹みますが…)。編集が入るかどうか,どちらも一長一短ですね。

1つ,残念なこと…ネクタイ,曲がっとるやん!(笑)

「福祉ネットワーク」で,聾重複のスタジオ解説者として出演したこともありました。それも含めると,いくつかのテーマで出演したことになります。でも,「聾教育の指導法における手話導入」という,まさに自分が最も長く研究してきたテーマで話ができたことは,やはり嬉しいです。
手話言語条例が各地で制定されており,手話言語法の制定に機運が高まっていることへの追い風になるといいかなとも思っています。

2015年1月 5日 (月)

引用文献は「読みたい論文」を!

近年,論文検索システムが充実してきたことに加え,フリーダウンロードできる学術論文が増えてきました。

私が大学生,大学院生だった頃,図書館に籠もり,1つ1つ手作業で先行研究を調べ,そして1つ1つコピーをしていたのが,嘘のようです。

もちろん,これ自体は喜ばしいこと。

私自身,今はこの恩恵にあずかっています。

ただその一方で,問題がないわけでもありません。

フリーダウンロードできる論文の多くが大学紀要であるということです。

会費によって運営される学会誌の場合,無料配布というわけにはいかないという事情もあるのでしょう。

そうなると,困った逆転現象が起きます。

厳しい査読を経た学会誌の方が,いちいち複写依頼をしたり,あるいは現物を取り寄せたりしなければならないので,面倒になります。

一方,手っ取り早く読める紀要論文は,査読がありません。

すると,学生たちは,卒論,修論に取り組むのにあたり,自分の関連するテーマの論文検索をかけ,ヒットしたもののうち,手っ取り早く読めるフリーダウンロードできる論文だけを集めて,引用文献を整えてしまいます。

本来,先行研究というのは,手に入りやすいかどうかで取捨選択すべきものではないはず。

自分の研究に密接に関連するならば,たとえ入手困難でも,そして日本語でなくとも,意地でも手に入れなければなりません。

なぜなら,論文というのは,オリジナリティが求められるから。

自分の研究がオリジナルであることを主張するためにも,先人たちの血と汗と涙の結晶である「先行研究」に敬意を表し,その成果を踏まえて,一歩先に進ませてもらうことが大事になります。

すなわち,「入手の容易さ」ではなく,「読みたい論文」を手に入れなければならないはず。

ところが,あまりに容易に,そしてそこそこの数のフリーダウンロードできる論文が増えてしまったために,「読みたい論文」よりも,「読める(手に入る)論文」を収集して済ませてしまうという逆転現象が生じてしまう。

それはとても残念なことです。

執筆した側からしても,苦労して査読をくぐり抜けた「渾身の一作」よりも,「やっつけ仕事」的な論文が多く読まれてしまう。これは研究者として残念。

また,学生がそのようなクセを身につけてしまうと,良質の論文に触れ,論文の質を見極めるトレーニングを積む機会が失われてしまう。これは研究者養成として残念。

そんなこともあり,ここ数年,学生の卒論指導や院生の授業では,あえて「フリーダウンロードできる紀要論文ではなく,査読のある学会誌を選び,発表して下さい」と条件をつけています。

もちろん,紀要論文でも秀作はありますし,学会誌が良いものとは限らないんですけどね。

2015年1月 4日 (日)

2014年を振り返る

2013年は,人生の節目でした。

20年かけてまとめた(寝かせた?)博士論文が受理され,博士号授与。
10年ほど実践・研究を進めてきた聴覚障害学生支援については,PEPNet-Japanシンポジウムを群大で開催,そして実践事例コンテストでは群大学生がPEPNet-Japan賞(優勝)受賞。
今まで自分がやってきたことが,形になった一年でした。
そんなことで,2014年はもう少し落ち着いた一年かなと思っていました。
しかしありがたいことに,充実した一年になりました。
そして,それなりに新たな一歩を踏み出せた気がします。
著書(分担執筆)や論文の執筆も,例年並みかそれ以上にできました。
つくばで開催されたPEPNet-Japanシンポジウムは,記念すべき10周年記念イベント。パーティーの余興のクイズでは,栄えある(?)PEPNet-Japanマニアの認定をいただきました。(笑) そして実践事例コンテストでは,群大学生は優勝こそ逃したものの,準PEPNet-Japan賞(準優勝)を受賞。
そしてなにより私自身にとって大きな転機となったのは,群馬県での手話言語条例制定に向けての動きに関わることができたことです。
群馬県には,本気で真面目に取り組んでおられる議員の方々がおられるということを肌で知りました。
障害者福祉のこと,手話のことを自分の問題として受け止めて動いて下さる議員の方々と語り合える機会が持てたことは,自分にとって大きな意味があったと思います。
政治のシステムを,かつてないくらい細かく学びました。そして,「政治的な決着」ということの意味を学びました。
「理想と現実」というと,崇高な理想があり,それがグレードダウンしたところに現実があるかのように思えます。
しかしそれは正しくない。
ある人にとっての「理想」は,別の人にとっては迷惑だったりもするわけです。
さまざまな人の理想を調整しながら,皆が100%の「満足」ではなく,「納得」できる場所を探さなきゃならない。
それが,実際に計画していく「現実」なのだと思うのです。
手話言語条例の制定過程に携わる中で,政治というものを肌で感じることができたこと。これが2014年の最大の収穫だったと思います。
さて,2015年はどんな1年になるでしょうか。
まずは,無事に今年度内に群馬県手話言語条例が制定されることを祈りつつ,その先に高崎,前橋等に広がっていくことを願いつつ。
そして,自分にできることを一歩一歩形にしていきたいと思います。
今年も一年,皆様,どうぞよろしくお願いいたします。
 
追記:新年早々,手話言語条例に関する論考が,日本手話学会の学会誌『手話学研究』に掲載されました(金澤貴之「手話関連条例が果たす役割に関する考察-上程プロセスへの当事者関与のあり方-」手話学研究,第23巻,31-42頁)。幸先の良いスタートを切ることができました。

2014年4月22日 (火)

聾学生が行う情報保障

聾の先生と一緒に開設している教養科目「手話とろう文化」。今年度で4年目になります。

今年度も100人ほどの学生が受講してくれました。そしてそこには様々な障害学生も受講してくれています。聴覚障害学生も、手話がわかる学生もいればこれから覚えようとする学生もさまざま。多様性のある教室です。
前半の講義は主に私が担当(聾の先生が担当することもあります)。後半の日本手話の実技は聾の先生が担当(通訳はありません)。
そして講義の情報保障の方法として、今年度は、あえて聾の学生にPCテイクをお願いしました。一年前にこの講義を受講してくれた、2年生のYさんです。私の声なし手話が誰にとってもわかりやすいかどうかはさておき、日頃から頻繁にコミュニケーションをとっている間柄。一昨日初めて実施しましたが,完璧な読み取り通訳でした。手話を読み取ってタイピングし、プロジェクタ投影する方法なので、逐次通訳にはなりますが、これなら,手話がわからない学生は,聴学生も難聴学生も,皆が理解できます。そして聾学生は,手話を見ていち早く情報を得られるわけですから,「いつもおかれている状況と逆の体験ができた。不思議な感じで新鮮だった」との感想。
通訳をしてくれた聾学生にとっても自信になったでしょうし,受講生にとっては,「障害の相対性」を理論だけでなく実感をもって受け止められた様子。リアクションペーパーに書かれた受講学生の感想にも驚きが溢れていて,手応えを感じました。中には「あの聾の先輩学生は,通訳をして何年になるのですか?」といった質問もあったので,受講生から見ても,十分に上手な通訳ができていたのでしょう。
これは手話話者の聾者であれば誰でもできることではなく,十分に早いタッチタイピングの能力と,高度な日本語の能力も要求されること。Yさんに感謝!

2014年3月26日 (水)

障害学生支援のその先…「当たり前」の大学生活へ

群馬大学では,これまで何人もの聴覚障害学生を受け入れ,そして送り出してきました。ただ,その多くは通常学校出身の聴覚障害学生でしたし,手話ユーザーである聾学校卒の聾学生は,大学院か専攻科に在籍していました。

そして昨日,群大で初めて,聾学校卒の聾学生が,同級生とともに4年間の学びを終え,無事,卒業式を向かえました。

学部生の場合,サークルや友人同士の関わりがとても大事ですから,授業の情報保障そのものよりも,話ができる友人をいかに作り上げるかが学生生活の鍵。

幸い,1年生のスタートの時から,あっと言う間に手話を覚えていく仲間に恵まれました。

そして昨日。

卒業式は公式の場ですから壇上で手話通訳が行われましたが,その直後の卒業祝賀会では,本人は情報保障を依頼しないと言う選択をしました(これも教育学部全体で行われる行事なので,これまでは障害学生サポートルームが通訳を派遣していました)。

要は,いつでも,たまたま隣にいる友人が,サッと手話通訳をしてくれる環境ができあがっていたということ。祝辞等々の挨拶も,事務連絡も。それも,「手話が上手い人が通訳をする」のではなく,本当に,たまたまそばにいた友人が。

私の認識では,決して手話が上手い方ではなかったような…という学生たちが通訳をしている様子に,驚きとともに感慨深い思いがこみ上げてきました。

そして夜の謝恩会。専攻内の内輪の会なので,学生相互の手話通訳で進みました。4年間の思いでの詰まった写真や動画のスライドショーの上映では,動画には色分けされた字幕あり,音楽には歌詞の字幕有り。そうしたことが,「特別な配慮」ではなく,当たり前に用意されていることにも,ちょっと感動。

最後の,学生代表の挨拶では,これまた必ずしも手話が上手い方だとも思っていなかった学生Oさんが,(おそらく前もって一生懸命練習して?)長い長い想い出話と教員や仲間への感謝等々のこもった挨拶を,手話付きでスピーチ。途中途中,何度もこみ上げてくる涙を堪えての挨拶に,学生みんな,そして私までウルウルきてしまいました。

謝恩会で学生みんなが泣き出してしまうのは,時々ある光景ですが,自分の涙腺も刺激されてしまったのは,14年間の大学教員生活で初めてだったかもしれません。

ちなみに,最後の挨拶が聾学生ではなかったのは,幹事の学生曰わく,「あいつがしゃべったら,当たり前すぎて面白くないし。(笑)」とのこと。つまりは,聾学生が「お客様」になってしまうのでもなく,はたまた,聾学生だから「あえて前に立つ」のでもない,そのさらに先に,すでに彼らの世界はたどり着いていたということなのでしょう(実際,当該聾学生は,一年生の時からPEPNetのシンポジウムなど,いろんな表舞台に立ってきた学生でしたし)。

そして二次会はカラオケ。みんなで手話付きで踊りまくっていたり,ファンモンの「あとひとつ」では,聾学生が前に立って手話で歌ってみんなが音声で合唱したり。最後は合唱曲の定番「旅立ちの時」を違和感なく聾学生も一緒に。こうしたことが,ごくごく普通に,いつものこととして繰り広げられていたわけで,彼らにとっては,しょっちゅう,こんな感じで,4年間,騒いできたんだなと納得。一般論的には手話コーラスに疑問を呈したりもしている私ですが,「まあ,これはこれで,ありかな」と思えたり。(^^ゞ

「あとひとつ」を聴くと,日本シリーズ最終戦でのまーくん登場の場面を思い出すのですが,これからは,この曲を聴く度に,あの日のカラオケ大合唱を思い浮かべてホロリときそうな気がします。

大学生活って,友達とケンカしたり,恋愛で振ったり振られたり,付き合ったり別れたり,時には真面目に将来のことで語り合ったり,熱くなって議論が白熱したり,そんなことの積み重ねだったりするもの。その,ごくごく「普通」の大学生活の中に,何ら「特別」さを感じさせることなく,聾学生も溶け込んでいたこと。さらに言えば,スライドショーでの写真の出演回数の多さから見ても,溶け込むどころか,輪の中心部分の一人でいたこと。この,「当たり前のこと」が総合大学という環境の中で実現できた。そんなことを,4年間の最後の1日に改めて確認できた。そんな君たちと一緒に過ごし,そして今日を迎えられたことで,一つの大切な仕事が節目を迎えた気がするよ。…と,そんなことを,最後に,研究室のゼミ生とで高崎のBarで語り合って,長い1日が終わりました。

情報保障は障害学生が授業を受けるための正当な権利の保障であり,これに応えることは大学としての最低限の責務。それを果たすことは美談でもなんでもなく,できて当たり前。でも,聾学生にとって本当に大切なことは,「この大学に入って良かった!」と思って卒業できることだと思うのです。それは,一生の宝物となる,仲間たちと出会えること。大学という場は,人の集合体ですから,人との繋がりの中にいられてこそ,「ここが自分の第二のふるさと」と思えるのではないでしょうか。

私にとっては、拙著『手話の社会学──教育現場への手話導入における当事者性をめぐって』を8月に上梓したばかりでもありましたから、研究と実践と,同時に節目を迎えた思いです。

さて,そんな群馬大学にも,今や,聾学校卒の聾学生が在学生に2人。さらに新入生にも,複数名入学予定。時代はさらに変わっていくのでしょうね。

2013年12月30日 (月)

「PEPNet-Japan」シンポ群大で開催,そして内閣総理大臣顕彰! …2013年の大きなできごと その3

今年の大きなできごとの3つめは,私が設立準備段階から関わり続けていた,日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan)に関することです。

PEPNet-Japanでは,毎年シンポジウムを開催しているのですが,第9回目になる今年のシンポジウムを,128日に群馬大学で開催することができました。

さらにその翌日の9日,なんとPEPNet-Japanが内閣総理大臣顕彰を授与されました。

 

私が群馬大学で聴覚障害学生支援に直接携わり始めたのは,教育学部障害児教育専攻に重度の聴覚障害学生の入学が決まった2003年から。

以後,群馬大学内で,聴覚障害学生の支援体制構築に奔走することになります。

その意味では,2003年以降の私の大学生活は,研究者としても,実践者としても,「聴覚障害学生支援」を抜きには考えられないものになっていきました。

本当に,考え得るあらゆる可能性を排除せずに進めてきた気がします。当初はたまたま巡ってきた仕事に過ぎなかった聴覚障害学生支援が,その後,自分の博士論文の主要な一部を構成することになり,そのおかげでなんとか博論が完成に至ったわけですから,人生,わからないものです。

一方,PEPNet-Japanが正式発足したのが,200410月の第1回日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク関係者会議。この設立に向けて,下準備的なところにも呼んでいただいて,関わらせていただいたわけですから,私にとっては,学内での支援体制作りとほぼ同時並行で,PEPNet-Japanとの関わりが進行していったことになります。

PEPNet-Japanで中心的に関わってきた事業は,支援体制構築マニュアル作りでした。これこそまさに,聴覚障害児教育を研究テーマとしつつも,会議の場での合意形成のされ方に注目した研究をしてきた私にとって,とても関心の深いテーマでしたし,自分の専門性が活かせるテーマでもありました。また,群大での支援体制構築の実践を進めながらでしたから,自分の実践をそのままPEPNet-Japanの事業に活かせる面白さもありました。そしてその逆もあり,PEPNet-Japanの事業で得た知識を活かして自分の実践をさらに良いものにしていくこともできました。

 

立ち上げ当初は,どちらかというと,「聴覚障害者支援に関する専門家集団」的な組織だったPEPNet-Japanも,時間の流れとともに少しずつ性格が変わってきている気がします。今は連携大学の代表者も,必ずしも聴覚障害が専門である人が集まっているわけでもありませんし,どちらかといえば,「聴覚障害学生支援を全学的・組織的に進めている大学の集合体」といった性格の組織へと変化していったように思います。

 

そして今年で第9回目を向かえたシンポジウム。参加者は年々増加し,今年は過去最高の400人越えでした。

シンポジウムでは,前日の群大見学ツアーと学生交流企画も含め,学生たちが頑張ってくれました。

群大の聴覚障害学生支援の特徴は,支援学生よりも聴覚障害学生の方が中心になり,ものごとを動かしていくところ。一言で言えば,「Deaf Centeredな大学だ」とのことです。特に私自身がそれを強く意識したわけではなかった気もしますが,整えた情報保障に甘んじることなく,その支援を最大限に活かして,「自分が何をすべきか?」を考えられる学生に育ってほしいと思って日々学生に関わってきたことが影響してきたのかもしれません。

障害学生支援は,そもそも憲法で保障されている学ぶ権利の保障ですから,キチンと必要なことは行って当然。そして「手厚い支援は学生への甘やかしにならないか?」という批判には,実践で応えていかなければなりません。つまり,必要な支援を受けつつ,自分がすべきことを自ら見いだし,切り開いて行く力を養うという実践で示していかなければなりません。

 

今回のシンポジウムも,まさにDeaf Centeredな様子がよく現れていたと思います。前日企画については,ほとんど私は口出しせずにいました。そしてシンポジウムを週末に控えた週は,連日夜遅くまで準備をしていたようです。「このシンポジウムをきっかけに,さらに聴覚障害学生同士の絆が深まった!」とも言ってくれました。そして本当に,このシンポジウムを通して学生が成長したと思います。

そして,毎年恒例となった実践事例コンテストでは,特に群大のそうした特徴が顕著に表れていました。

1年生と4年生の2人の聴覚障害学生が中心にプレゼンをし,聞こえる学生と音声の明瞭な難聴学生それぞれ1名ずつが読み取り通訳。そしてもう1人の聴覚障害学生が,手話のわからない聴覚障害学生に備えてブギーボード(電子筆談ボード)を片手に持ちつつ資料を配って呼び込み。

取り上げたテーマは,「教育実習」という,情報保障が最も困難なテーマ。そこで,聴覚障害学生自身が何を悩み,どうやって乗りきってきたのかを発表してくれました。

準備から当日まで,ギリギリまで悩み,相談し,そして実行していった甲斐もあり,発表の結果は最優秀賞であるPEPNet-Japanをいただくことができました。開催校ですから参加者の印象には残ったでしょうけれども,純粋に得票数で決まるものですから,学生たちには胸をはってほしいと思います。3年ぶり,2回目の最優秀賞受賞です。

おかげで,シンポジウムの有終の美を飾ることができました。

 

そして偶然にもシンポジウムの翌日,PEPNet-Japanが平成25年度バリアフリー・ユニバーサルデザイン推進功労者表彰において,最高位の賞「内閣総理大臣表彰」を受賞しました。首相官邸にはPEPNet-Japan代表の,筑波技術大学学長の村上芳則先生と,PEPNetシンポ運営委員長の愛媛大学教授の高橋信雄先生が出席され,安倍晋三内閣総理大臣から直接賞を頂きました。

日本の聴覚障害学生支援は障害学生支援の牽引役を果たしてきたといっても過言ではありません。日本の障害学生支援をリードしてきたPEPNet-Japan。僅か数人で構想を練って立ち上げに至ってから10年。ここまで大きく成長するとは,立ち上げの当時,誰が想像し得たでしょうか。

実に,感慨深いものがあります。

 

私の聴覚障害学生支援に関する見識も実績も,PEPNet-Japanの成長とともに少しずつ積み上げてきました。

PEPNet-Japanなくしては,それこそ私の博士論文も完成し得なかったでしょう。

そのように考えると,この12月のシンポジウムと内閣総理大臣顕彰は,私にとっても,一年の締めを飾るのに相応しいイベントでした。

 

PEPNet-Japanを支えてくれた関係者の皆様に感謝!

共に築き上げてきた仲間に感謝!

 

そして今年一年間,関わりのあったすべての皆様に,心から御礼申し上げます。

ありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

2013年12月28日 (土)

単著『手話の社会学』刊行! …2013年の大きなできごと その2

Img_1673 今年の大きなできごと,その2。

初の単著を,生活書院から上梓することができました。

『手話の社会学−教育現場への手話導入における当事者性を巡って−』です。

 

この本は,まさに学位授与されたばかりの博士論文を書籍化したものになります。

博士論文との大きな違いは,博士論文では序論に位置していた,方法論上の議論を「補章」として最後に持ってきたこと。

確かに,私がこの研究を進める上でネックになったのは,「教育実践研究はいかにして『科学』たり得るのか」という問題。

実践者は「現場感覚」に基づいて実践をしておられます。もちろんその中には,学術的な成果を参照しようとされる方もおられるでしょうけれども,そうでない場合もある。むしろ行動の規範の軸になるのは,「現場感覚」という主観的な感覚。

それをいかにして分析対象とするか,ということこそが,私が修士論文の時から挑戦してきた課題だったわけです。

その解は,「特殊教育学」という既存の学問分野には見いだせませんでしたから,やや大げさに言えば,特殊教育学への挑戦でもありました(実際に「挑戦」たり得ていたのかどうかはともかく,少なくとも自分の意識としては)。

とはいえ,私にオリジナルなものを生み出すだけの能力があるわけではありません。

社会学に解を求めました。

そして,社会問題論の構築主義アプローチにたどり着きました。

人が主観的に語るところの中身が真実かどうか。そんなことは調べようもない。しかし重要なことは,それが真実かどうかに関わらず,(社会)問題は人が語るところのものの連鎖によって構築される,ということ。

だとすれば,ある語りの真偽判断には意味がなく,その語りがどのような資源を動員して説得力を持たせ,そしてどのように積み上げられ,あるいは反論されて行くのかこそが分析の判断材料になる。

現場で応酬されながら空中戦で終わっているように見える,「手話・口話論争」を分析するには,この方法しかない!と思いました。

…そのようなわけで,博士論文執筆においては,この方法論上の検討は非常に重要な意味を持っていました。

しかしながら,出版社の勧めもあり,その小難しい議論が読者の躓きになってしまい,その先の本論にたどり着けないようでは,本末転倒なので,思い切って後ろに持っていきました。その上で,それで整合性がとれるよう,文章を整えました。

後は,僅か半年の時間差ではありますが,その間に障害者差別解消法が成立するなど,若干の世の中の変化もありましたから,加筆も必要になりました。

そして,「はじめに」を執筆しました(「後書き」は,博士論文の「謝辞」をほぼそのまま微修正)。

でも,基本的には,博士論文そのままです。

 

そしてタイトルは,あえて『手話の社会学』をメインタイトルとしました。

博士論文のタイトルが,「聾教育における手話の導入過程に関する一研究」ですから,ずいぶん違いますね…(笑)

ただ,さすがにこのままだとタイトルが大きすぎですから,副題として「教育現場への手話導入における当事者性を巡って」をつけ,テーマの核心が見えるようにしました。

本の「はじめに」でも書きましたが,本書は「手話の社会学」という名前から素直にイメージできそうな,「社会の中での手話のありよう」に焦点をあてたものではなく,「聾者の教育現場における手話の導入の是非を巡る意思決定のあり方」を明らかにすることに向けられています。

では,「看板に偽りあり」かというと,そんなことはないと思っています。これは,本書の執筆を終えてみて,確信していることです。

なぜか。聾者にとって,教育の場における手話の是非こそが,「聾者が聾者であること」の生命線だからです。

そしてそのことの本質的な意味に,他の誰よりも聾の方々ご自身に気づいていただきたいと思っていますし,さらには聾者に関わる聴者にも気づいていただきたいと思っています。

なぜならば,残念ながら,聾者が働きかけるだけでは聾者の主張は通らないという現実があり,聾者と関わる聴者がどのように動くかが重要な意味を持つからです。

そしてまさにこのことこそが,本書の結論の核心部分となったと言えます。

私の研究の問題関心は,「手話を導入すると効果があるのかどうか?」といった指導法そのものの是非ではありません。「日本手話派」の急先鋒であるかのように(ネット上で?)言われた時期もありましたが,私自身は口話法そのものの使用を否定したことは一度もありません。

私の関心は,「『手話を導入してほしい』と語る聾者の主張が,なぜ,どのようにして,聾教育の関係者の中で受け流されてきたのか?」ということです。

「現象には必ず理由がある」はず。この現象にも,何らかのメカニズムがあるのではないかと考え,その解明を目指してきました。

それとともかくまとめ上げたもの,それがこの「手話の社会学」ということになるかと思います。

 

さて,この「手話の社会学」ですが,企画は2003年頃からありました。生活書院が立ち上がった頃,社長さんに話を持ちかけまして,同意をいただいていました。

しかし,私の博士論文の完成がその後ズルズルと延びてしまい,自動的に,本の出版もズルズルと延びてしまいました。

生活書院の社長さんからは,毎年の年賀状で,「手話の社会学,今年こそ!」と発破をかけていただきました。

そして,毎年,お待たせしてしまいました。

 

ようやく,このようにして世に出すことができました。

ただ,これが渾身の自信作!とまで言い切る自信はありません。

むしろ博士論文の執筆は,自分の能力のなさを思い知らされた時間でもありましたから。

これも「はじめに」に書きましたが,それでもあえて本書で「手話の社会学」と銘打って世に出そうと思ったのは,「こんな研究でも世に著してよいのだ」と開き直ることで,次世代の若手研究者が,「このくらいなら」とばかりに本書を踏み台にしてより優れた研究を量産してくれることを期待する意味もあります。

 

 その意味では,「手話の社会学」は,これから始まったところですし,みんなで作り上げていけたらいいなという思いです。

博士号,授与! …2013年の大きなできごと その1

研究者を志して20年ほどになりましたが,今年は特に大きな節目となる1年でした。いろいろなことはありましたが,特に研究者としての大きなできごとを3点挙げたいと思います。

まずは,3月に博士号を授与されたこと。

そして,8月に博士論文をもとにした初の単著『手話の社会学−教育現場への手話導入における当事者性を巡って−』を上梓したこと。

あとはもう1つ,PEPNetシンポジウムを群馬大学で開催できたこと(合わせてその翌日にPEPNet-Japanが内閣総理大臣顕彰を授与されたことも)。

それぞれ順を追って,振り返ってみたいと思います。

 

まずは,博士号の学位授与。

博士論文は,以前は,文系については退職間際になって研究の集大成をまとめて提出するイメージが強かったものですが,今や,大学院博士課程(後期課程)に入り,順当に3年間学びと研究を重ねていれば授与される時代になりました。

 しかしながら私の場合,幾度も提出のチャンスを失うことになり,結果的に,研究を始めてから20年近く時間を費やしてしまいました。

 

東京学芸大学の大学院修士課程から聾教育の手話導入をめぐる実践をテーマに研究をしようと志し,修士論文を執筆。現場の実践で交わされる「手話か口話か」の議論をテーマに研究をしようと考えるも,当時特殊教育分野ではそのような研究手法は見当たらず,他分野である社会学(特に構築主義)の手法を用いる形で書き上げました。そしてその修士論文を広げて博士論文とすべく,筑波大学博士課程に3年時編入学。

 はたしてうまく行くのかどうか,どう転ぶかもわからない方法で修論に取り組むことを後押ししてくれた修士課程の指導教官には,本当に感謝の言葉が見つからないくらい,感謝しています。

 そして,「手話」というテーマ的にも社会学という方法的にも,どこにも受け入れ先がない中,専門分野が異なるにもかかわらず,研究室に向かえてくださり,そして聴覚障害関係の研究者や実践者の方々とのパイプを繋げて下さった,博士課程の指導教官にも,同様に,心から感謝しています。


ところが諸事情から,1年で博士課程を中退することになります。単位取得退学ではなく,単なる中退ですから,これで「課程博士(課程博)」という,博士課程にいる学生として提出するという道がなくなりました。


しかし博士論文を提出するには,もう1つの道があります。博士課程に在学していなくても,博士論文のみを提出して,審査を通れば博士になれます。これを「論文博士(論博)」といいます。ただし,論文一発勝負なので,論文提出するための条件もありますし(学会誌に何本以上掲載している,とか),論文審査も厳しくなりますが。なんだか運転免許と似てますね。(笑)教習所に通わなくても免許は取れるけど,教習所に通うと実技試験が免除になるので,免許が取りやすい。

ともかく,この論博の道が残されていますから,博士論文を完成させることは諦めるわけにはいきませんでした。私の博士号取得には,祖父の願いも込められていたのです。

私の祖父は,天才的に優秀な人だったらしく,尋常小学校から高等小学校までの在学中,解けなかった問題は1問だけで,それは「中学校」向けの,習っていなかった問題だけだったそうな。さすがに「嘘でしょ」と思っていたのですが,大人になってから富山の祖父母の本家を訪ねていったら,親戚中から祖父にまつわる伝説的な話が出てくるわ出てくるわ。

…で,その祖父ですが,残念ながら家が裕福ではなく,進学も高等小学校までがやっとだったとのこと(それも,尋常小学校の担任の先生が,「この子をぜひ進学させてあげて下さい」と頼みに来た,という逸話もありで)。その後,戦争で住む場所もなくなり,夫婦と娘(つまり私の母)の3人で東京に出てきて,「ドカタ」をしながらお金を貯め,母を高校まで進学させるも,やはり本当はどこまでも本人の望むまま,「最終学歴」まで進学させてやりたい,という思いが残っていたようです。

その願いが,母を通し,孫の私に託されたおかげで,私はいつまでも親のスネをかじって学び続けることが許されたのでした。

博士課程を退学して技官になるという道は,当時の博士課程の学生の間では珍しいことではなく,むしろ進学よりもともかく大学に就職を優先することが大事だったところもあります。でも,祖父からすれば,なかなか理解に苦しむところで,「せっかく大学院まで行かせてやったのに,『博士』になれないのか…」という残念さが残っていたようです。

なので,「じーちゃん,でも論文を出せば博士になれるんだよ」と言って,なぐさめた(というか,ごまかした?)経緯がありました。

なにしろ明治生まれの人ですから,「末は博士か大臣か」と言われていた時代。

群馬大学の講師,助教授になった時も喜んではくれましたが,でも祖父にとってはそうした仕事上の肩書きよりも,「自分ができなかった分まで,孫をどこまでも勉強させてやれた」結果としての「博士号」を見たかったようです。

そんな祖父の願いもあり,母も常々「博士になって,おじいさんを喜ばせてあげなきゃね」と言っていましたから,意地でも博士論文の完成を諦めるわけにはいかなかったのです。


その後,筑波大で文部技官,助手を経て,群馬大学に講師として着任。

学生時代とは異なり,日々の仕事をしながら論文を書き進めることはなかなか難しく,はかどりませんでした。


そこにもう1度,チャンスが訪れました。

2003年,東大先端研に内地留学する機会を得ることができ,1年弱,研究に専念する時間をいただいたのです。

ここぞとばかりに頑張って論文をとりあえず書き上げました。

しかし,その時は博士課程在学中の指導教官はもはや別の大学に移られ,責任を持って論文を審査にかけてくれる人がいなくなっていました。博士課程在学中の指導教官も,実験心理学の手法で研究されている方でしたから,私とは方法は全く異なっていたわけですが,内容なり方法なりで,近接領域の先生がいれば事情は違っていたでしょう。

しかしながら,もとより私の選んだ内容も方法も,それまで特殊教育分野では扱っていた先生がいませんでしたから,頼れるツテをたどってみたものの,「誰も審査できる人がいませんので,審査自体が困難です」という返事でした。

ここでまた,道が閉ざされてしまいました…


しかし,捨てる神あれば拾う神あり,ではありませんが,新たな道が開けます。

学部の修士課程の時の指導教官に相談したところ,「学芸大でも論博の提出はできますから,諦めることはありませんよ」とのこと!(以後,ここでは「師」とします)


ただ,学芸大の論博は非常にハードルが高く,助教授になりたての私の業績では,まだまだ事前審査をクリアできない状況。師からは,「私が退職するまで,まだ時間はありますから,それまでに業績をしっかり積み上げて臨んでください」とのお言葉。


その日から,新たな挑戦が始まりました。

 博士論文の本文を整えつつ,それぞれの章に該当する箇所を,すべて学会誌等に投稿し,根拠付けとなる業績作りを平行して進めました。


そしてようやくこれなら完成かと思えた2010年。

 

論文の主要な事例の2つのうちの1つになっている学校から,掲載を許可するわけにはいかない,との連絡が…

私が扱っていた事例は,1995年前後の,まさに日本の聾教育において幼稚部から全面的に手話を導入していく流れが作られ始めた時期。その時から,気がついたらすでに10年以上の歳月が過ぎていました。

もちろん,時間が経っても風化し得ない価値のある現象を見いだしたからこそ,論文として分析したいと思っていたわけですが,当該校の立場からすれば,今さら当時の話を蒸し返されても,無用な誤解を呼ぶだけなのかもしれません。

先方の決意も固いようでしたので,諦めざるを得ませんでした。

そしてそれは,いたずらにそれだけの長い時間をかけてしまった自分の責任でもありますし。


ともあれ,これによって,論文の根幹をなす事例が消えてしまいました。

もはや,無理かな…と諦め気分も入りました。


しかし,師に相談したところ,普段はとても厳しいお方なのですが,その時は実に優しい言葉かけをしてくださいました。

確かに大変だろうけれども,諦めなければ道は開けます。研究のデザインも大幅に見直さなければならないでしょうけれども,幼児期の手話導入というテーマを見直して,今までやってきた研究をうまく活かして形にまとめ上げることを考えたらいい。研究業績も,非常に難易度の高い学会誌を狙わなくとも,とにかくどこかに掲載していくことを第一に考えて投稿するとよい。

…と,そのような言葉かけをいただいたような気がします。

(*なお,そうは言われましたが,その後投稿した学会誌の難易度が実際に低いということではないです。個々の学会誌の名誉のためにも。)

まず,師の言葉を支えにしつつ,自分の研究業績を見直しました。


聾学校の幼児期における手話導入に関する議論をテーマに研究をしていた時期が2000年くらいまで。その後群馬大学に赴任してからは,聾重複に関する研究を継続的に進めていました。そして,2003年に聴覚障害学生支援に関わってからは,自分の研究の中心は聴覚障害学生支援。支援体制構築に関する研究と,支援技術に関する研究。これらの研究をすべて包含して,それなりに整合性のあるデザインに組み直す作業は,決して容易ではありませんでしたし,実際,ちょっと無理はありました。


師の退職は2012年度いっぱいですから,審査に1年かかることを考えると,残された時間は2年間。

2011年度は,これまでに出したことのないくらい,論文を投稿した気がします。たしか,6本ほど。

そして2011年の冬から,月に2回ほどのペースで論文指導を受けました。

大学教員になって10年以上経っていましたから,実に久しぶりでした。でも不思議なことに,何年経っても,師の前では学生時代に戻ったように,蛇に睨まれた蛙の如く,言葉が上手く返せなかったり…

目的と方法の一貫性をとにかく問われ,そして構成としておかしなところは章を新たに設けて執筆することになりました。

そのおかげで,最終的には,ともかく筋の通った形でひとまとまりの形にすることができました。

そして師から「これなら,わかります。私も責任を持って推せます。」と言われ,ゴーサインが出たのが,2012年4月。

そして5月に学内の業績審査を通過し,博論審査願を学芸大の博士課程係に申請したのが6月。

9月に博論提出の許可がおり,学芸大の博士課程係に博論を提出したのが10月。

審査委員の先生からのコメントを受けて修正をし,1月28日に発表会。あっと言う間に時間が過ぎました。どんな応答をしたのかも覚えていないくらい,とにかく緊張していました。


そして,2月26日。

たまたま仕事が早く終わり,いきつけのBarで一杯いただきながら,メールをチェックすると,博士課程係から,正式に学位取得が確定した旨の通知!

 たまたま他にお客さんがいなかったこともあり,長い間,博士論文と格闘してきた私と見守り続けてくれたBarのマスターが,お祝いしてくれました。


そして3月15日,とうとう学位授与式。亡き祖父の形見のスーツ(サイズがピッタリ!)を着て,母と二人で臨みました。

連合大学院なので,学芸大,埼玉大,横浜国大,千葉大の4大学の学長先生が壇上に並びますから,なかなか壮観でした。それと対照的に,博士号のみの学位授与式だったので,小さな会場にポツンと椅子が数十脚。そのコントラストが,かえって価値の大きさを演出してくれた気がします。

博士号を授与され,母と一緒に真っ先に向かったのは,博士号授与を心待ちにしつつ,数年前に他界してしまった,亡き祖父母の墓前。

学位記を墓前に供え,やっと報告をすることができました。


できあがった博士論文は,「ともかくも全体をそれなりにまとめたもの」であって,とても完成度の高いものとは言えません。それは,自分の力のなさを思い知らされた経験でもありました。でも,「一人の研究者としてできることがいかに小さいか」を知り,それに比して,現象の解明がいかに困難であるのかを知り,ただただ謙虚になることを知ること,これこそが,「学位授与」ということの最大の成果だったのかなと思います。

2013年10月 3日 (木)

AKB48の握手会に学ぶ「特別」な対応

AKB48の握手会,有名ですよね。

でも私はもちろん行ったことはありませんし,何時間も並んででも握手したいような,いわゆる「推し」の子はいません(もしいたら,学生から気味悪がられますね…)。

でも,この握手会というイベントについてちょっと調べてみると,なかなか学ぶべきところが多々ある気がします。その意味では,覗けるものならちょっと覗いてみたい気もします。

今日は「握手会」についてちょっと考察します。

まず,この握手会なる現象について説明します。

彼女たちと握手をするためには,CDを購入し,握手会のチケットを入手しなければなりません。

一人で何枚も入手可能です。たくさんCD買えばいいわけで。

(このあたりはAKBの「選抜総選挙」と似てます。一人一票ではなく,何枚でも購入できる。「総選挙」が「選挙」でなく「株主総会」だといわれる所以です。)

で,握手会のチケットを複数枚持っている場合,一度握手して,また並び直すことも可能(それを「ループ」というらしい)。

とはいえ,何時間もかけて朝から並び,その上でもう一度握手したくてまた最後尾から並び直すには相当気合いが必要でしょうね。

でも,そのように気合いの入ったファンに支えられているのが,AKB現象なわけです。

そして握手はAKBメンバー全員とできるわけではなく,自分の「推しメン」の子のブースに並ぶことになります(メンバー2人で1組という話もありますが)。

そしてファンは自分の大好きな子と握手するだけのために,何時間も待ち続ける。

そして一度だけじゃ飽き足らず,二度三度と並び続けるということです。

一方で,AKBメンバーにとっては,朝から晩まで,ブースに立ってひたすら握手をし続ける,過酷な長時間労働。

彼女たちはいったいいつご飯食べたりトイレに行ったりするのでしょう?(誰か教えて下さい)

とにかく次から次へと,入れ替わり立ち替わり,めまぐるしく人が流れていくわけです。

一会場一万人以上入るところで行いますから,それぞれのファンが好きなブースを選ぶにしても,ループすることも考慮すると,1人あたり千人以上もの人と握手をし続ける。

笑顔で,両手で,心を込めて,ギュッと握手をする。これを10人や20人ならともかく,千人以上の人に行うということ。その結果,家に帰っても,笑顔のまま顔の筋肉が引きつって戻らなくなっているとか(真偽のほどはわかりませんが)。

そしてメンバーにとって握手会は,「選抜総選挙」に繋がる選挙活動なわけです。

例えば,推しメンだった子と念願の握手をしてみたら,対応が粗雑(しょっぱい対応=「塩対応」)でガッカリした…となると,次に投票するのはやめようってことになりますし,逆にそれまであまり注目していなかったけど,たまたま握手券が余って,列が短いブースがあったから並んでみたら,「神対応」だった!となると,「今日からこの子が推しメン!」となる。

まさに,選挙活動。

政治家にとって握手が命なように,AKBメンバーにとっても握手が命なわけです。

そして,握手会という「場」についてです。

長テーブル1つあるスペースにメンバーが1人入り,それぞれがパーティションで仕切られる(会場によって細かな違いはあるようですが)。

両サイドには,タイムキーパー1名と,時間になったらやんわりと握手を「はがす」人1名がいる。

そして,1人あたりの持ち時間は10秒。ブースに入ってから出るまでが10秒なので,実質的に握手できる時間は3秒ほどとのこと。

この間の時間は,基本的に,何をしてもいい。

ウインクしてもらってもいいし,投げキッスしてもらってもいい。

一緒に踊ってもらってもいいし,人生相談にのってもらってもいい(数秒でできるならですが)。

とにかく,わずか数秒の間に「勝負!」をかけなきゃいけないわけです。

ファンにとっても勝負。メンバーにとっても勝負。とにかくわずか数秒で勝負。

ファンにとっては,少しでも自分を印象づけようと,奇抜なファッションをしてみたり,緊張であがっても効率よく話せるように,自分が話すことを手に書いておく(「手カンペ」という)人もいるらしい。

一方,メンバーにとっては,わずか数秒の間で,「神対応」か「塩対応」かが分かれるわけですから,少しでもよい対応をしなければならない。

先日,いきつけのBarで,ベテランのバーテンダーさんが仰っていました。

「バーテンダーにとって大切なことは,ごく僅かな違いにこだわれるかどうかなのです」と。

スタンダードカクテルは,誰が作ってもそれなりに美味しくなる,「黄金の比率」でできている。でも,そのさらに微妙な違いにこだわって,少しでもより美味しくなるよう,工夫の余地を探っていくところに,技術の向上やプロ意識の向上が生まれる,ということ。

わずか数秒での対応というのは,ホントにごく僅かな差でしかない。

しかし,その数秒は,ファンにとっては朝早くから何時間も待ちわびた数秒。

かけがえのない時間なのです。

さて,ではその数秒の間に彼女たちは何をしているのでしょうか?

AKBの,押しも押されぬAKBトップアイドル,大島優子。(指原が一位とはいえ…)

youtubeでの映像を見ると,見事なレスポンスです。

ラップを踊り出す人にはラップで合わせ,ウインクの要望には抜群の笑顔でウインク。

さすが,子役から慣らしてきただけのことはありますね。

AKB総監督,高橋みなみの対応も,これまた素晴らしい。

テレビで模擬的にやって見せた握手会映像では,「髪型変えたんですね!」と行って見せたり,応援してほしいとのリクエストには大きな声で声援。

そして,元祖「握手会の女王」といえば,柏木由紀,とのこと。

ファンの名前を覚え,ループして次に来た時は,「あ,また来てくれたんですね,○○さん!」と名前で呼ぶとのこと。

さらに驚きのエピソードは,高校受験を控えた内気な少年とのやりとり。

「受験なので,励まして下さい」とのリクエスト。しかし少年は恥ずかしくて目もあわせられずうつむいている。

すると,「頑張ってね!」との声をかけてくれるかと思いきや…何も返事がない。

あれ…?と不安になって,おずおずと顔を上げる少年。

そこですかさず,「やっと目が合ったね! がんばってね!!」と笑顔。

いやはや,これは脱帽ですね…

わずか数秒の間に,あえて「待つ」時間を作り,目を合わせてから,最大級の笑顔で声をかけるとは。

この少年,一生忘れられない思い出になったことでしょう。

と,話をここで閉じたいところですが,その上を行く「超絶対応」の握手をするメンバーがいるとのこと。

youtubeで見たのですが,元ネタはテレビ番組。

SKE48の古畑奈和という子らしい。

スタジオで,男性タレントを相手に再現していましたが,これにはビックリしました。

(私の拙い文章では再現できないので,興味がわいた方は動画をご確認ください。)

長テーブルの真ん中でなく,入口よりのギリギリにポジショニングし,パッと両手を大きく前に広げて出迎える。あなたのこと,待ってました!と言わんばかりのジェスチャーで両手を大きく差し出して,「こんにちは~!」と。

そして,相手のピアスや髪型,服などを褒めたりして会話をしながら,長テーブルの長さ分,一緒に横に歩きながら,おしゃべりしながら握手。

両手で握った手は,ギューッと自分の方に引き寄せる。

握手された側の男性タレントからすれば,「心を引き寄せられるようだった!」と。

そして話の途中で「はがし」役の人が介入して,握手が文字通り引きはがされながら,名残惜しそうに目一杯手を振って,「バイバイ~!また,おしゃべりしましょうね~!」と。

そして次の瞬間,ピョーンと元気よくジャンプして,長机の入口側の端に瞬時に移動。と同時にまた両手をパッと広げて出迎える。

なお,これをファンの間では「古畑ジャンプ」と言うそうで,そう言われるくらい,いわばそのスタイルが彼女のトレードマークになっているのでしょう。

…まあ,これをされたら,いっぺんで彼女のファンになってしまうでしょうね。

ただし!この「かわいらしい」スタイルは,16歳の,妹系キャラの子だから似合うのであって,AKBメンバーの誰もが真似できるわけではない気がします。

ここには,己を知る,つまり自分を客観的に見るという大事な要素も含まれているわけです。

それが,自分にしかできないスタイルということ。

そして,なぜ彼女がその方法にたどり着いたか。

「自分がファンの人たちの立場だったら,どうされたらと嬉しいと思うか?」を考えた結果だそうです。

いやはや,16歳の女の子に負けた!と思いました。

自分にとっては,何千回の握手の1回。

しかし,待ち続けたファンの1人1人にとっては,かけがえのない,貴重な1回。

そこに温度差を作ることなく,何千回すべてに「貴重な1回」の思いを込めて握手ができること。

これが本当の「神対応」なのでしょう。

中学校や高校の教科の授業は,同じ内容の授業をクラスを変えて何度も行います。

でも,受けている生徒はそのつど違います。そのつど,感動を与える授業ができるかどうか。

大学教員にとって,研究室の学生は毎年変わります。そして毎年同じように学生の相手をする。でも,それぞれの学生にとっては,一生に一度の,最後の学生生活の節目。その人生の節目に寄り添った指導ができるかどうか。

特別支援教育に関わる専門職では,毎日毎日,相談を受けます。個々のケースは,自分にとっては「日常業務」の1つかもしれません。しかしその1人1人の親御さんは,方々を巡って,どこに行ってもつれない対応をされ,「最後の望み」をかけてここに来ているのかもしれません。

まだ二十歳前後の女の子たちの握手の対応から,私たち特別支援教育に関わる者は謙虚に学ばなければならない気がします。

2012年7月29日 (日)

「遊び」の極意と「ナンパ」の極意

久しぶりのブログ更新なのに,いきなり何だ?と驚かれそうなタイトルですね。(笑)
ただ,ここで言う「遊び」は,「夜遊び」とか「女遊び(逆なら男遊び)」といった意味ではないです。
「子どもと遊ぶ技術」と「ナンパの技術」は実は似ているのではないか?ということです。
…といっても,これまたずいぶん不謹慎な!と怒られそうですが。

学生を見ていても,プロの臨床家を見ていても,パッと子どもとの距離を縮められる人はいます。私のように不器用な人間からすれば,ある種の天性の才能のようなものを感じてしまいます。
ここで紹介する,遊びの<極意>とは,そうした「センス」に頼るものではありません。誰でも確実に子どもと信頼関係が結べるようになるための方法論です(もちろん正確には,本当に「誰でも」というわけにはいきませんが)。
ある子どもがオモチャを使って1人遊びをしているとします。
この子どもは,自分とは初対面です。
1.まず,子どもが遊んでいるオモチャと同じ類のオモチャで,子どもの近くで「1人遊び」をします。積み木がゴロゴロ転がっていたら,その転がっている中にある,その子が今使っていない積み木で。あるいは砂遊びをしていたら,子どもが作っている砂山の隣に別の砂山を作る,みたいなイメージで。
2.その次に,そのオモチャとオモチャで接触を図ります。1から2へのステップは,あまり無理せずあせらずに。あまりその子がイラッとこないよう,さりげなく,あるいは遠くのものから。積み木なら,その子の作り中の積み木の作品を,邪魔しないようにアシスト。砂場なら,お互いの山の間を道でつなぐとか。
3.今度は2の逆パターン。その子に,自分のオモチャへの関わりを促す。自分の作りかけの積み木に,その子が持っている積み木を乗せてもらうとか,砂山なら,難攻不落のトンネル工事を,その子に反対側から貫通してもらうとか。このあたりは,その子の言語や認知の発達段階によって,内容は変わります。
4.いよいよ共同作業。同じ目標に向かって,同じオモチャで遊びます。一緒に積み木を積み上げたり,大きな砂山を一緒に作ったり。
 4までくれば,もう大丈夫。遊びを通じて,志を同じくする「同志」としての絆ができます。1から3までは,目線を合わせるのが苦手な子の場合は,目を合わせずに進めてもよい。もちろん4も,目を合わせずに進めてもよいのですが,作業過程で,何度か目が合うことでしょう。そして共同作業を通じて,「目と目で通じ合う」関係ができあがります。目で会話できるようになれば,心はつながります。

…という感じです。
普通によく行われている方法とも言えますし,私の場合,学部3年生の時の専門の講義の1つであった,小川仁先生の講義の中で学んだ方法でした。
私の場合,決して子どもと遊ぶのが得意なわけでもないので(どちらかといえば,正直,「めんどくさい」…?),パッと子どもの遊びの世界に飛び込んでいけるわけではないのですが,やっぱりこの業界にいると,特に聾重複のお子さんの支援などで,「実際に見に来てほしい」と言われることもあります。そこで,自分でも関わってみなきゃならないような時に,この方法を使うと,たいてい上手くいきます。
ここで重要なのは,こうした関係作りが必要なのは,普段から知っている子どもとの間柄ではなく,初対面の時だということ。
「親しい間柄なら仲良く遊べるだけど…」と言う人もいたりしますが,それは当たり前の話。
大人同士だってそうです。「異性と話ができない」という人だって,幼なじみとか,時間をかけて仲良くなってきた人となら,普通に話ができたりします。これも,当たり前の話。

さて,上記の「極意」(というのは大げさですが),何かに似ているよなぁ…と思ったら,よくある恋愛の(というかナンパの)指南本と似ているんですよね。
ナンパというと,見ず知らずの人に,「こんにちは!今どうしてるの?ヒマだったら一緒に遊ばない?」などと軽いノリで声をかける行為,というイメージがあるかもしれません。しかしそれは二重に誤りです。
まず第一に,こんな声のかけ方じゃ,まず,女性はついてきませんよね。(^^ゞ
…ま,それはともかく(今回の本題ではないので)。
それより重要なのは,これはいわゆるストリートナンパであり,難易度が最も高く,ベテラン(?)のナンパ師でも,100人声かけて次の展開まで持ち込めるのは一桁だったりするもので,そもそも上手な「ナンパ」とは,相手に「警戒心」を抱かせないようにすること。つまりは,相手から見れば,「ナンパ」とすら思われていないアプローチが重要なわけですね。

ちなみに,女性から見て,「ナンパ」=(成功率の低い)「ストリートナンパ」のイメージになるのか?これは2つの理由があります。
第一に,そこそこ整った顔立ちの女性であれば,実際に「街で声をかけられる」経験の1つや2つ,普通にあるから。これは当たり前で,半分趣味で「ストリートナンパ」をしているベテランナンパ師さんは,1人や2人を射止めるために,何十人はおろか100人に声をかけることもいといませんから,ダメもとでヒョイヒョイ声をかける男性はそれなりあちこちにいるわけです。新宿や渋谷は当然ですが,近所の高崎駅周辺でも時々遭遇します。(笑)
第二に,そうでない(上手な?)「ナンパ」は,そもそもナンパだと悟られないようにアプローチしているわけですから,女性からすれば,それはナンパとは認識されていない。つまり「ナンパされた」数にカウントされないわけです。

さて,話を戻すと,では,上手な「ナンパ」の方法はいかに?
基本的には,上記の「遊び」の極意と同じです。
例として,バーを舞台にしてみましょう。
この場合のオモチャならぬ媒介者(媒介物)は,バーテンダーさん,あるいは,お酒。
当然ですが,いきなり,少し離れた席に座っている見ず知らずの女性に対して,「あちらのお客様からです」などとバーテンダーさんを介してお酒をごちそうする,なんてのは,安っぽいドラマや漫画の世界でしか,ありえません。(笑)
そんなのは,媒介しているとは言えません。「下心丸出し」爆弾に,「警戒心全開」ガードで返されます。
ちなみに,親しいバーテンダーさんに,「そんなシチュエーションってありますか?」と尋ねたところ,「そういうことを引き受けてくれるお店もあるでしょうが,私は,トラブルを避けるために,そのような注文自体をお断りしています。もちろん,お客さん同士が仲良くなってからなら,話は別ですが」とのこと。
そしてここに,ヒントも隠されていますね。「お客さん同士が仲良くなってからなら」です。
その日に知り合ったばかりだとしても,仲良くなってからなら,それは「あり」なわけです。
まだ仲良くなってもいないのに,イキナリ見ず知らずの男性からお酒をごちそうするなんて,初対面の引っ込み思案な子がミニカーで遊んでいるところに,イキナリ横からガーンとミニカーのダンプカーをぶつけるようなものです。泣かしたいなら別ですが。
では,どうするか。
その女性に話をふるのではなく,バーテンさんを介して「話をする」わけです。
例えば,明日の天気の話をその人とバーテンさんがしている。そこで,「マスター,そういえば明日はまたかなり暑くなるって,さっきラジオで言ってたよ」と言うとか。
そこで,ノリのいい女性だったら,向こうの方から,「え,そうなんですか?」と話に入ってくるし,そうでなくても,バーテンさんを介して,「かなり暑くなるようですよ」とその女性に話が伝わる。
飲んでいるお酒を通じて共通点を見つけるのも,ありです。
例えばその女性が,カシスオレンジを頼んだとする。
その時,「あ,そういえば先日,マスターに作ってもらったカシスオレンジ,一緒に来た女性陣たちが,『すっごくおいしかった!やっぱり居酒屋とは全然違う!』って,後で,感動してましたよ。」と話してみる。
そこで,先ほど同様,ノリのいい女性なら,「え!ホントですか?」と聞いてくる。
そうでなくとも,その後にさらに話を続けて,「同じカシスオレンジでも,全然違う,その違いはどうやって出るんですか?」と,バーテンさんに聞いてみると,たいていのバーテンさんはプロのこだわりを持ってお酒を作っていると同時に,会話も含めてサービス業だと意識していますから,「違いですか?例えばですね…」と丁寧に説明してくれる。
そうすると,今まさにカシスオレンジを飲もうとしている女性も,「自分の問題」になるので,「ふーん,そうだったんだ!」となる。ここで初めて,バーテンさんとカシスオレンジを通して,「問題意識の共有」が生まれるわけです…なんだか学問的ですね。(笑)
そして,その女性が一口飲んだ時に,「あ,ホントだ!すっごくおいしい!」とか言った時に,「でしょ!」と,<その女性の方を見て>大きくリアクション。
まさに,共同作業を通じてのアイコンタクトの成立。そして共感。
これ,イキナリ「このマスターのカシオレおいしいから,ぜひ飲んでみて!」と進めたら,どう考えてもまずいわけです。
イキナリでなく,必然性があっての結びつきということがまず何より重要。そしてもう1つ重要なのは,その女性の方から興味を示していること(これは,「遊び」の極意のステップ3が重要なのと同じです)。こちらはあくまでバーテンさんに会話を振っているところに,女性の方から会話に参入してきているからこそ,相手の女性の警戒心は非常に薄れているわけです。そしてもはやそこで成立した会話は,「ナンパ」とは映らない!

どうでしょう? こうして見てみると,両者は実に共通点が多いと思いませんか?
ということは,プロの臨床家は,異性の扱いも上手…?!

PS.なお,ここに登場するバーおよびキャラクターは,仮にモデルとして思い浮かぶところがあったとしても,もちろんフィクションです。(笑)

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