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2014年3月26日 (水)

障害学生支援のその先…「当たり前」の大学生活へ

群馬大学では,これまで何人もの聴覚障害学生を受け入れ,そして送り出してきました。ただ,その多くは通常学校出身の聴覚障害学生でしたし,手話ユーザーである聾学校卒の聾学生は,大学院か専攻科に在籍していました。

そして昨日,群大で初めて,聾学校卒の聾学生が,同級生とともに4年間の学びを終え,無事,卒業式を向かえました。

学部生の場合,サークルや友人同士の関わりがとても大事ですから,授業の情報保障そのものよりも,話ができる友人をいかに作り上げるかが学生生活の鍵。

幸い,1年生のスタートの時から,あっと言う間に手話を覚えていく仲間に恵まれました。

そして昨日。

卒業式は公式の場ですから壇上で手話通訳が行われましたが,その直後の卒業祝賀会では,本人は情報保障を依頼しないと言う選択をしました(これも教育学部全体で行われる行事なので,これまでは障害学生サポートルームが通訳を派遣していました)。

要は,いつでも,たまたま隣にいる友人が,サッと手話通訳をしてくれる環境ができあがっていたということ。祝辞等々の挨拶も,事務連絡も。それも,「手話が上手い人が通訳をする」のではなく,本当に,たまたまそばにいた友人が。

私の認識では,決して手話が上手い方ではなかったような…という学生たちが通訳をしている様子に,驚きとともに感慨深い思いがこみ上げてきました。

そして夜の謝恩会。専攻内の内輪の会なので,学生相互の手話通訳で進みました。4年間の思いでの詰まった写真や動画のスライドショーの上映では,動画には色分けされた字幕あり,音楽には歌詞の字幕有り。そうしたことが,「特別な配慮」ではなく,当たり前に用意されていることにも,ちょっと感動。

最後の,学生代表の挨拶では,これまた必ずしも手話が上手い方だとも思っていなかった学生Oさんが,(おそらく前もって一生懸命練習して?)長い長い想い出話と教員や仲間への感謝等々のこもった挨拶を,手話付きでスピーチ。途中途中,何度もこみ上げてくる涙を堪えての挨拶に,学生みんな,そして私までウルウルきてしまいました。

謝恩会で学生みんなが泣き出してしまうのは,時々ある光景ですが,自分の涙腺も刺激されてしまったのは,14年間の大学教員生活で初めてだったかもしれません。

ちなみに,最後の挨拶が聾学生ではなかったのは,幹事の学生曰わく,「あいつがしゃべったら,当たり前すぎて面白くないし。(笑)」とのこと。つまりは,聾学生が「お客様」になってしまうのでもなく,はたまた,聾学生だから「あえて前に立つ」のでもない,そのさらに先に,すでに彼らの世界はたどり着いていたということなのでしょう(実際,当該聾学生は,一年生の時からPEPNetのシンポジウムなど,いろんな表舞台に立ってきた学生でしたし)。

そして二次会はカラオケ。みんなで手話付きで踊りまくっていたり,ファンモンの「あとひとつ」では,聾学生が前に立って手話で歌ってみんなが音声で合唱したり。最後は合唱曲の定番「旅立ちの時」を違和感なく聾学生も一緒に。こうしたことが,ごくごく普通に,いつものこととして繰り広げられていたわけで,彼らにとっては,しょっちゅう,こんな感じで,4年間,騒いできたんだなと納得。一般論的には手話コーラスに疑問を呈したりもしている私ですが,「まあ,これはこれで,ありかな」と思えたり。(^^ゞ

「あとひとつ」を聴くと,日本シリーズ最終戦でのまーくん登場の場面を思い出すのですが,これからは,この曲を聴く度に,あの日のカラオケ大合唱を思い浮かべてホロリときそうな気がします。

大学生活って,友達とケンカしたり,恋愛で振ったり振られたり,付き合ったり別れたり,時には真面目に将来のことで語り合ったり,熱くなって議論が白熱したり,そんなことの積み重ねだったりするもの。その,ごくごく「普通」の大学生活の中に,何ら「特別」さを感じさせることなく,聾学生も溶け込んでいたこと。さらに言えば,スライドショーでの写真の出演回数の多さから見ても,溶け込むどころか,輪の中心部分の一人でいたこと。この,「当たり前のこと」が総合大学という環境の中で実現できた。そんなことを,4年間の最後の1日に改めて確認できた。そんな君たちと一緒に過ごし,そして今日を迎えられたことで,一つの大切な仕事が節目を迎えた気がするよ。…と,そんなことを,最後に,研究室のゼミ生とで高崎のBarで語り合って,長い1日が終わりました。

情報保障は障害学生が授業を受けるための正当な権利の保障であり,これに応えることは大学としての最低限の責務。それを果たすことは美談でもなんでもなく,できて当たり前。でも,聾学生にとって本当に大切なことは,「この大学に入って良かった!」と思って卒業できることだと思うのです。それは,一生の宝物となる,仲間たちと出会えること。大学という場は,人の集合体ですから,人との繋がりの中にいられてこそ,「ここが自分の第二のふるさと」と思えるのではないでしょうか。

私にとっては、拙著『手話の社会学──教育現場への手話導入における当事者性をめぐって』を8月に上梓したばかりでもありましたから、研究と実践と,同時に節目を迎えた思いです。

さて,そんな群馬大学にも,今や,聾学校卒の聾学生が在学生に2人。さらに新入生にも,複数名入学予定。時代はさらに変わっていくのでしょうね。

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