単著『手話の社会学』刊行! …2013年の大きなできごと その2
初の単著を,生活書院から上梓することができました。
『手話の社会学−教育現場への手話導入における当事者性を巡って−』です。
この本は,まさに学位授与されたばかりの博士論文を書籍化したものになります。
博士論文との大きな違いは,博士論文では序論に位置していた,方法論上の議論を「補章」として最後に持ってきたこと。
確かに,私がこの研究を進める上でネックになったのは,「教育実践研究はいかにして『科学』たり得るのか」という問題。
実践者は「現場感覚」に基づいて実践をしておられます。もちろんその中には,学術的な成果を参照しようとされる方もおられるでしょうけれども,そうでない場合もある。むしろ行動の規範の軸になるのは,「現場感覚」という主観的な感覚。
それをいかにして分析対象とするか,ということこそが,私が修士論文の時から挑戦してきた課題だったわけです。
その解は,「特殊教育学」という既存の学問分野には見いだせませんでしたから,やや大げさに言えば,特殊教育学への挑戦でもありました(実際に「挑戦」たり得ていたのかどうかはともかく,少なくとも自分の意識としては)。
とはいえ,私にオリジナルなものを生み出すだけの能力があるわけではありません。
社会学に解を求めました。
そして,社会問題論の構築主義アプローチにたどり着きました。
人が主観的に語るところの中身が真実かどうか。そんなことは調べようもない。しかし重要なことは,それが真実かどうかに関わらず,(社会)問題は人が語るところのものの連鎖によって構築される,ということ。
だとすれば,ある語りの真偽判断には意味がなく,その語りがどのような資源を動員して説得力を持たせ,そしてどのように積み上げられ,あるいは反論されて行くのかこそが分析の判断材料になる。
現場で応酬されながら空中戦で終わっているように見える,「手話・口話論争」を分析するには,この方法しかない!と思いました。
…そのようなわけで,博士論文執筆においては,この方法論上の検討は非常に重要な意味を持っていました。
しかしながら,出版社の勧めもあり,その小難しい議論が読者の躓きになってしまい,その先の本論にたどり着けないようでは,本末転倒なので,思い切って後ろに持っていきました。その上で,それで整合性がとれるよう,文章を整えました。
後は,僅か半年の時間差ではありますが,その間に障害者差別解消法が成立するなど,若干の世の中の変化もありましたから,加筆も必要になりました。
そして,「はじめに」を執筆しました(「後書き」は,博士論文の「謝辞」をほぼそのまま微修正)。
でも,基本的には,博士論文そのままです。
そしてタイトルは,あえて『手話の社会学』をメインタイトルとしました。
博士論文のタイトルが,「聾教育における手話の導入過程に関する一研究」ですから,ずいぶん違いますね…(笑)
ただ,さすがにこのままだとタイトルが大きすぎですから,副題として「教育現場への手話導入における当事者性を巡って」をつけ,テーマの核心が見えるようにしました。
本の「はじめに」でも書きましたが,本書は「手話の社会学」という名前から素直にイメージできそうな,「社会の中での手話のありよう」に焦点をあてたものではなく,「聾者の教育現場における手話の導入の是非を巡る意思決定のあり方」を明らかにすることに向けられています。
では,「看板に偽りあり」かというと,そんなことはないと思っています。これは,本書の執筆を終えてみて,確信していることです。
なぜか。聾者にとって,教育の場における手話の是非こそが,「聾者が聾者であること」の生命線だからです。
そしてそのことの本質的な意味に,他の誰よりも聾の方々ご自身に気づいていただきたいと思っていますし,さらには聾者に関わる聴者にも気づいていただきたいと思っています。
なぜならば,残念ながら,聾者が働きかけるだけでは聾者の主張は通らないという現実があり,聾者と関わる聴者がどのように動くかが重要な意味を持つからです。
そしてまさにこのことこそが,本書の結論の核心部分となったと言えます。
私の研究の問題関心は,「手話を導入すると効果があるのかどうか?」といった指導法そのものの是非ではありません。「日本手話派」の急先鋒であるかのように(ネット上で?)言われた時期もありましたが,私自身は口話法そのものの使用を否定したことは一度もありません。
私の関心は,「『手話を導入してほしい』と語る聾者の主張が,なぜ,どのようにして,聾教育の関係者の中で受け流されてきたのか?」ということです。
「現象には必ず理由がある」はず。この現象にも,何らかのメカニズムがあるのではないかと考え,その解明を目指してきました。
それとともかくまとめ上げたもの,それがこの「手話の社会学」ということになるかと思います。
さて,この「手話の社会学」ですが,企画は2003年頃からありました。生活書院が立ち上がった頃,社長さんに話を持ちかけまして,同意をいただいていました。
しかし,私の博士論文の完成がその後ズルズルと延びてしまい,自動的に,本の出版もズルズルと延びてしまいました。
生活書院の社長さんからは,毎年の年賀状で,「手話の社会学,今年こそ!」と発破をかけていただきました。
そして,毎年,お待たせしてしまいました。
ようやく,このようにして世に出すことができました。
ただ,これが渾身の自信作!とまで言い切る自信はありません。
むしろ博士論文の執筆は,自分の能力のなさを思い知らされた時間でもありましたから。
これも「はじめに」に書きましたが,それでもあえて本書で「手話の社会学」と銘打って世に出そうと思ったのは,「こんな研究でも世に著してよいのだ」と開き直ることで,次世代の若手研究者が,「このくらいなら」とばかりに本書を踏み台にしてより優れた研究を量産してくれることを期待する意味もあります。
その意味では,「手話の社会学」は,これから始まったところですし,みんなで作り上げていけたらいいなという思いです。
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初めまして~
実は昨日、一般社団法人京都府聴覚障害者協会法人認可60周年記念大会においてお目にかかったものです。鳥取と群馬の手話言語条例制定に向けての分析、更に今後どのように取り組むべきかなど改めて考える良いきっかけになりました。もっとお話が聞きたいと思い。HP検索をかけた次第です。
今後、手話言語条例に関する書籍が出ることを楽しみにしています。
投稿: 林 薫 | 2016年9月23日 (金) 20時10分
林様,ありがとうございます。そのように仰っていただけると,励みになります。
よろしかったら,こちらのサイトもご覧いただければ幸いです。
https://sites.google.com/a/gunma-u.ac.jp/kanazawalab/
投稿: KANAZAWA | 2016年9月24日 (土) 11時18分