清原和博著『男道』幻冬舎
久しぶりに,「良い本を読んだ!」と思いました。
清原と桑田の友情と,その間に入った亀裂。
2人の間に何があり,そしてそれはどうなっていったのか。
熱烈な野球ファンではない私のような者も含め,多くの人が関心を寄せていたことだったと思います。
その時々の,清原の葛藤,苦悩,悔しさとパワーが伝わってきた気がしました。
そして,仰木監督は,清原に何を託し,そして「花道」として何を用意したいと思ったのか。
ジャイアンツを出てから引退までの清原の問いかけは,ここに向けられていました。
この本には,清原の思いを通じて,「男らしく生きる」とはどういうことか?ということを考えさせられました。
(ジェンダー論的には,「男らしい」という言い方に引っかかりを感じる方もおられるかもしれませんが,ここではとりあえず,「清原が言うところの『男らしく生きる』」という意味として流して下さい。)
また,清原が長渕剛の「とんぼ」をこよなく愛した理由もわかる気がしました。
清原にとって,東京=ジャイアンツだったのかもしれません。
(ちなみに私も「とんぼ」は好きですが,東京の新宿で生まれ育ち,そして仕事の関係で群馬に移り住んだ自分には,「死にたいくらいに憧れた東京のバカヤロー」というのは,実感をもって受け止めることができません。残念ながら。新宿のビル街こそが故郷な訳ですし…)
もう1つ,これは私が勝手にふと思ったことがあります。
長渕剛が大好きな清原にとって,「逆流」という曲は,どんな位置づけだったのだろうかと。
「逆流」は長渕のセカンドアルバムのアルバムタイトル曲でもあり,初期の作品です。
そんなにメジャーな曲ではないかもしれませんが,清原が長渕ファンならたぶん知っているはず。
例えば誰かがさびれたナイフで僕に軽蔑を突きつけても
腰を据えて受けてやる
げんこつ一つで笑えるさ
奴がブーツのボタンを外していようと
奴が人の生き様馬鹿にしようとも
一歩前のこの道を行かなければ
だって僕は僕を失うために生きてきたんじゃない
(作詞作曲長渕剛「逆流」)
ちなみに私は,高校〜大学時代,この曲をいわば「座右の銘」のように大切にしていて,ライブのたびにギターをかき鳴らして歌っていました。
この本を読んで,ひさびさに長渕の曲が聴きたくなりました。
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