本は批判せずに読め
前回の「人の話は鵜呑みにしろ」の続編みたいな話です。
本は批判的に読めという人がいます。
しかし,これは実はかなり難しい。
私は,自分の論文を書くよりも,書評を書く方がはるかに苦手です。
相手の主張を誤読することなく読み込み,さらには(できれば)伝えきれなかった思いまでも取り込んで,「産みの苦しみ」を筆者と共感し,その上で,「自分だったらこう書く」とか,「こんな伝え方もできたのではないか」と筆者に伝えていく作業。
こうした作業が,「書評」に求められます。
しかし,相当専門分野が近かったりしないと,その第一歩である,誤読することなく読み込む作業の段階でつまずきかねません。
私自身,ちょっと分野が違ったり,新しい研究の方法論を学ぼうとしたりするための読書をする場合は,意図を理解することに集中します。
批判どころじゃ,ありません。
十分に読みこなすトレーニングが積んでいない人が,批判的に読もうとすると,その結果どうなるか?
単なる揚げ足とりにしか,なりません。
あるいは,独りよがりな批判。
揚げ足とりとは,本筋とは外れた,枝葉末節な部分の言葉尻を捉えた批判です。
独りよがりとは,「自分の知っているこういうことが,この本には書かれていない!」といった発想です。
文章を書く作業には,苦渋の選択が伴います。
あれも言いたい,これも言いたい,という,伝えきれない思いの中で,「これだけは伝えたい!」という何かを選び取る作業です。
だからこそ読み手も,その「伝えたい!」という思いをくみ取りながら読んでいかないと,その本の価値に気づかないまま終わってしまいます。
本をキッチリ読むこと。これ自体,トレーニングの産物です。
だからこそ,それができないうちは,筆者の真意をくみ取ろうとしながら読むことに専念したら良いと思います。
批判は,どうしてもしたければ,十分に読みこなせたときにだけ,共感的に,少しだけ,すればいいのだと思います。