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2007年10月25日 (木)

本は批判せずに読め

前回の「人の話は鵜呑みにしろ」の続編みたいな話です。
本は批判的に読めという人がいます。
しかし,これは実はかなり難しい。
私は,自分の論文を書くよりも,書評を書く方がはるかに苦手です。
相手の主張を誤読することなく読み込み,さらには(できれば)伝えきれなかった思いまでも取り込んで,「産みの苦しみ」を筆者と共感し,その上で,「自分だったらこう書く」とか,「こんな伝え方もできたのではないか」と筆者に伝えていく作業。
こうした作業が,「書評」に求められます。
しかし,相当専門分野が近かったりしないと,その第一歩である,誤読することなく読み込む作業の段階でつまずきかねません。
私自身,ちょっと分野が違ったり,新しい研究の方法論を学ぼうとしたりするための読書をする場合は,意図を理解することに集中します。
批判どころじゃ,ありません。

十分に読みこなすトレーニングが積んでいない人が,批判的に読もうとすると,その結果どうなるか?
単なる揚げ足とりにしか,なりません。
あるいは,独りよがりな批判。
揚げ足とりとは,本筋とは外れた,枝葉末節な部分の言葉尻を捉えた批判です。
独りよがりとは,「自分の知っているこういうことが,この本には書かれていない!」といった発想です。

文章を書く作業には,苦渋の選択が伴います。
あれも言いたい,これも言いたい,という,伝えきれない思いの中で,「これだけは伝えたい!」という何かを選び取る作業です。
だからこそ読み手も,その「伝えたい!」という思いをくみ取りながら読んでいかないと,その本の価値に気づかないまま終わってしまいます。

本をキッチリ読むこと。これ自体,トレーニングの産物です。
だからこそ,それができないうちは,筆者の真意をくみ取ろうとしながら読むことに専念したら良いと思います。
批判は,どうしてもしたければ,十分に読みこなせたときにだけ,共感的に,少しだけ,すればいいのだと思います。

2007年10月15日 (月)

人の話は鵜呑みにしろ

自分と違う考えに出会ったとき,私たちは,ついつい,「でも…」と言ってしまいます。
それって,例えば,「なるほど確かにそうですね。」と前置きをしていたとしても,実はまったく意見を聞き入れていなかったりします。
共感する意見に納得するのは,当たり前。
しかし,反対する意見に納得するのは,なかなか難しい。
それができることもまた,1つのトレーニングなのかもしれません。
そのための第一歩として,「納得」までできないのなら,納得していようがしていまいが,そのまま受け入れることから始めることも必要かなと思うのです。
とはいえ,これがなかなか難しいもんですけどね。←自分
ただ,私自身にとって幸いだったのは,聾教育という,手話だ口話だと,いろんな価値観が渦巻く中に身をおいて,たくさんのインタビューをこなしてこられたことです。
それも,学生の時に。
自分の考えとまったく異なる主張と出会うこともありました。
というか,自分自身が,模索中だったので,毎日のように,人に会う度に,いろんな価値観と遭遇しました。
でも,自分の意見と違ったとしても,まだ若輩者ですし,まずは聞いてみないことには,始まりません。
それになにより,インタビューは,自分の価値観を相手に説明する場ではなく,相手の価値観を引き出さないことには,データになりません。
そしてさらに重要なこととして,ただ単に事前に考えた質問項目を並べただけでは,相手はいろいろ話してくれないということもあります。
つまり,その話に,心から共感できていて,「なるほど!」と思ってうなずいてはじめて,相手が続きを話したくなる頷きができるわけです。
そのためには,単に相手の主張を「認める」ということではなく,相手の想いや考えを,相手の立場に感情移入して共感できなければいけないわけです。
それを,今日は口話主義の人,明日は日本手話導入を主張する人,…と,入れ替わり立ち替わり,行ってきました。
それぞれの主張を,どこかでまとめて整理する必要もあるわけですけど,そんなことは後だって良いのです。
その時その時には,目の前にいる人の論理や感情を,その人の視点,立場になって,共感すること。
調査を進めていく際には,これがとても重要でした。
そしてそれを実行してきた結果として,立場を換えて物事を見ていくことが,わりと得意になったのかなと思います。
望ましいのは,相手の話を,咀嚼して,飲み込むこと。
でも,それができないのなら,まずは,良い悪いの判断を後回しにして,まるごと鵜呑みにしてみることも大切ではないでしょうか。

2007年10月13日 (土)

入学前にしなければいけないこと(その5)講座の実施

障害学生支援,すっかり更新が滞っていました。
未だに,「入学」できていません…
ボランティアでもいいから,テイカーをしてくれる学生も集まりました。
コーディネーターも決まりました。
次にしたことは,ノートテイクとは何か,どのようにしたらよいのか,についてのレクチャーです。
これは,群大の近くに住んでいる,知り合いの要約筆記者にお願いしました。
まったくこの分野とは離れたところでご縁があった方でした。
大学からの謝礼は払いにくいので,「お友達」ということで,ボランティアでお願いしました。
(気持ちばかりの菓子折のお礼だけを,私の方で用意しましたが…)

これは,本当に,実施して良かったです。
やっぱり,私が聞きかじりの知識で話すのとは,全然違いました。
わかりやすいし,実践的だし。
それに,後半では,「実際にやってみましょう!」というコーナーも設けていただいたので,「明日にでも使える講座」でした。
ノートテイク希望者は,ほとんどが参加してくれましたし,参加できなかった方には,当日撮影させていただいたビデオを後で見てもらいました。

実施したのは,4月1日とか,そのへん。
つまり,入学式まで,あと数日のタイミングでした。

失敗は,失敗のもと

失敗をしない,簡単な方法があります。
それは「新しいことに挑戦しないこと」です。
でも,それが「良い生き方」とはいえないですよね。

失敗しないと,その先の展開もありません。

「失敗してもいいんだよ。次に成功すれば。」とおっしゃる方も,しばしばいます。
でも僕は,「ずいぶん酷なこと言うなあ」と思います。
それって,「二度目の失敗は,許さない」って言ってるのと同じでしょう?

私の実感としては,失敗は一度したらしなくなるのではなくて,同じ失敗を
何度もしながら,だんだんしなくなっていくのではないかと思うのです。
10回中8回失敗していたものが,10回中3回に減っていく,みたいな。
失敗率が減っていくって感じでしょうか。
ですから,1回の失敗くらいで,ビビらせてちゃ,もったいないと思うわけです。
山ほど失敗すればいい。

そして,その実感を積んでいる人は,「新しいことにチャレンジできる人」です。
それは,「常に失敗に挑んでいる人」でもあります。
失敗をすれば,成功に変わるというよりは,失敗の後には,別の失敗に変わる。
ただ,失敗の質が変わってくるわけです。

自分にとってありがたかったなあと思うことは,周りの人が,身分不相応の
チャレンジの機会を与えてくれたことです。
もちろん,1回で上手くいくわけはありません。
でも,考えてみたら,身分不相応な失敗は,意外と責められない面もあるのですよね。
例えば,
学部の1年生,2年生の頃に,研究会に参加したら?
3年生で,卒論相当の調査をしたら?
今思うと,顔から火が出るような恥ずかしい失敗をたくさんしているのですが,
でも,たぶん,周りにいた人は,温かく見守っていてくれたんだと思うんですよね。
今でも,場違いな失敗をたくさんしているのだろうと思います。

1つ,失敗をするコツがあるとすれば,人より早めに失敗すること,でしょうか。
そのためには,躊躇せずチャレンジし,数をこなすことが必要なのかなと思います。

失敗は,新たな失敗につながります。
先に進んでいる人は,常に失敗し続けている人,です。

2007年10月 8日 (月)

「社交辞令」にするのは自分

立食パーティーのような席で,名刺交換。
「いつでも尋ねていらっしゃい。歓迎しますから。」と,エライ方が仰って下さる。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします。」と,返事。
でも,ホントに会ってくれるとは,あんまり思っておらず,挨拶だけして,名刺だけもらって,机にしまわれる。

久しぶりに友達にバッタリ出会ったとき。
「おー!久しぶりじゃん!元気?」と,しばし,立ち話。
で,決まったように,こう言います。
「今度みんなで会おうよ!」
「いいねーいいねー。」
…でも,「今度」は,やってきません。

こうしたやりとりは,至る所で転がっているもの。
いわゆる「社交辞令」か,それに近いもの(旧友再会のやりとりを「社交辞令」というには違和感があるかもしれませんが,次に会うことを本気で思っていなくても,そんな約束をするあたりは,本質的には,「社交辞令」でしょう)。

でも,図々しくても,相手が「エッ?」と思っても,こう言ってみると,違った展開になります。

「ありがとうございます。ぜひ,伺わせていただきたいです!大変お忙しいかとは存じますが,来週か再来週で,あいている日はございますか?」

友達同士なら,「いいねー,じゃ,いつごろがいい?俺,幹事やるからさ。」

たぶん,面食らったとしても,話は先に進みます。
その場でアポが決まらなくても,進む展開になります。
社交辞令は,自分が次のアクションを積極的に起こさない結果として,できあがるものだと思うのです。

2007年10月 5日 (金)

聞こえる人はいつでも手話をやめられる

どなたが言い出したのかもわからないのですが,けっこう,手話サークルとかいろいろな場で言われる言葉です。
もちろん,「どんどんやめましょう!」と言っているわけではないということは,言うまでもありません。
聴者はどんなに頑張っても(もちろん頑張らなくても)聾者にはなれません。
この言葉を肝に銘じておかないと,簡単に,聴者が聾の世界を浸食してしまうのだろうなと思います。

2007年10月 1日 (月)

マンダレイ(映画)

アメリカの奴隷制度を痛烈に風刺した作品です。
映画としてはあまりにシンプルなセットに,「これで2時間以上は,つらいなぁ…」と思って見始めたのですが,意外や意外,スルスルと話に引き込まれました。
そして,衝撃の展開,結末!
このメッセージは,黒人の奴隷制度の問題のみならず,障害者福祉についてもあてはまるように思います。
パターナリズムが良いとは思いませんし,コロニーでの施設「収容」のあり方が良かったとは思いません。
しかし,「脱施設化」が叫ばれる現在,まだまだ見落としている視点があるようにも,思いました。

ホテル・ルワンダ(映画)

1994年,100日間で100万人もの人がルワンダで虐殺されました。
広島,長崎の原爆の死者と比べても,桁外れの数です!
この事実そのものが,信じられないことです。
この映画は,その中で,1200人の命を救ったホテルマンの話です。
こんなことが,それもそんなに昔ではない頃…っていうか,つい最近に起こっていたことを知らなかった自分が恥ずかしい。

カテゴリーを若干変更しました

「書籍・映画・音楽」を設けました。
「これはいい!」と思うものを紹介できたらと思います。
ただ,この手の評論は苦手なので,タイトルと一言くらいしか,書かないと思います。
まずは,読んで,見て,聞いて,そして,それぞれの視点で何かを感じてもらえたらと思います。

カッコーの巣の上で(映画)

精神医療の本質的な問題について,かなり,考えさせられました。
後味は悪いですけど,ぜひ多くの人に見てほしい映画です。
1975年に作られたものとは思えないくらい,今見てもまったく色あせないところが見事。

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