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2007年7月30日 (月)

高校生向けの「出前授業」

ニュースというカテゴリーに入れるべきか,迷ったのですが…

最近,高校にお呼ばれして,出前授業を行う機会があります。
去年は熊谷女子高校に,そして今年は伊勢崎清明高校に行ってきました。
また,つい先日の海の日には,大学で行われた教育学部の説明会で,模擬授業を行いました。
高校生を相手に行う授業,なかなか楽しいです。
特に去年大学で行った模擬授業に参加してくれた高校生のうちの何人かが,その後,群馬大学教育学部障害児教育専攻に入学してくれたこと,そして入学式の後のオリエンテーションで,私と出会ったことを覚えてくれて,「あ,あの時の先生だ!」と言ってくれたのは,嬉しかったですね。

このブログを読んで下さった高校関係者の皆様へ…
ぜひ,教育学部の教務にお問い合わせ頂き,私を呼んでいただけたらと思います。
喜んで,お伺いします!
そして,「金澤を呼んで良かった」と言ってもらえるよう,楽しい授業をします!
後悔させません!(…言い過ぎ?)

それともう1つ。
ぜひ,特別支援学校の高等部の生徒さんへの出前授業も,ありうると思うんです。
当然,「高校生」ですから。
特に聾学校の先生方,頭に入れておいていただけたらと思います。
聾者の就労の問題,大学進学の問題など,ご要望に応じて,メニューを取りそろえてお待ちしております!
(…っていうか,要望があってから,あわててメニューを考えるんですけど。)

2007年7月29日 (日)

ソーシャルインクルージョン

前回更新してから,2週間ほど,ちっとも更新できておらず,でも,アクセスカウンターを見ると,時々覗いてくれている人がいるようで,心苦しい限りです。
なかなか忙しくて…なんてのは,言ってはいけない,いいわけ。
世の中には自分よりもはるかに多忙でありながら,常に新しい情報を吐き出している人が,たくさんいるのですから。

今日,「ウエールズの山」というDVDを見ました。
昨日見た,「守護神」のストーリーが巧みだったので(ケビンコスナーも渋い味を出していましたが…),ついそれと比べてしまうと,「ウエールズの山」の方は,話の展開はちょっとストレートすぎて物足りなさも感じましたが,まあ,すがすがしくて,これもまたいいかなと。
本筋とはそれることですが,つい職業柄注目してしまったことが1つ。
この中で,おそらく知的障害があると思われる青年が出てきます。
彼が,何カ所か,大事なところで,おいしい役割を果たしています。
そして何より,村人たちの中で,彼が「知的障害」という先入観を持たれることもなく(持って見ていたのは,私か?),それでいて,暖かく受け入れられています。
ソーシャルインクルージョンとは,言葉としては聞きますが,ようするに,こんな感じなのかな?と,改めて思いました。
「ウエールズの山」,複雑な映画が苦手な私でも,スッキリと見ることができました。
良かったら,見てみて下さい。

2007年7月13日 (金)

入学前にしなければいけないこと(その3)予算案の作成

障害学生支援の難しいところの1つに,予算をどうやって工面するかという問題があります。
正確には,「工面する」のは,部局の経理担当者や本部の財務部であって,現場サイドからすれば,「どこに滑り込ませるか」と言った方が,実感に近いかもしれません。
あ,「滑り込ませる」などというと,なんだか怪しげな響きですね。
「滑り込ませる」というのは,別に悪いことをするという意味ではなく,時期的な問題です。
障害学生が入学することは,入学する前年度の適当な(大学側の予算措置にあたって都合の良い)時期にわかっている話ではなく,入学手続きをしてくれて初めてわかるわけです。
前年度末までに着々と準備している予算決定の流れからすると,「後から割り込んでくる予算」ということになります。
入学手続きは3月中旬ですから,まさに,「滑り込みセーフ」になるか,「アウト」となるか。
学部の予算から充当するとして,少なくとも2つの委員会を通過する必要があります。
1つは,その予算を執行する委員会。
この場合は,教務委員会ということになります。
もう1つは,予算委員会。
それぞれの委員会での予算を審議するデッドラインに間に合わせなければいけない。
そのためにも,教務担当の事務方の協力が不可欠です。
まさに,白澤さんからのアドバイスの1つ,「動いてくれる事務の人」が必要ということですね。
当時の教務係長は,委員会の流れを踏まえて,締め切りを教えてくれました。
数日しか猶予がなかったように記憶しています。

なにしろ初めてのことなので,相場がさっぱりわかりませn。
とにかく,地道に積算していきました。
たしか,想定される授業のコマ数については,1年生の学生の何人かに実際のコマ数を教えてもらって,平均的な数字+αくらいの額を算出した気がします。
学生バイトの単価は一律800円と決まっていますから,コマ数さえ決めれば,あとは機械的に割り出せます。
大学によっては,学生に謝金を払っていないところもあります。
「ボランティア論」のような授業の一環としてノートテイクを実施させて,単位化する方法をとっているところもあります。
それも1つの方法なのかもしれませんが,私は,嫌でした。
聴覚障害学生にとっては,他の学生と同じように授業を受ける権利があります。
そして大学には,そのための措置をする義務があります。
聴覚障害学生は,ノートテイクカーに謝る必要も,お礼を言う必要もないはず。
それはたしかに,日本文化の中での「潤滑油」としては,とりあえず「ありがとう」くらい言った方がいいとは思いますが,それは例えば宅配ピザを注文して,雨の中,届けてくれた配達のおにいさんに,「こんな雨の中,申し訳なかったですね。ありがとうございました。」と言ったり,タオルを差し出してみたりするのと同じ。
仕事としてピザを届けているのですから,雨だからって,注文が減ったら,そっちの方がよっぽど困ります。
ノートテイクは,単価は決して高くはありませんが,移動時間がほとんどかかりません。
たとえば家庭教師は単価は高いでしょうけれど,片道1時間かもしれない。
そうすると,往復2時間かかります。
それと比べたら,あながち割りの悪いバイトともいえない。
さらに言えば,授業を聞くのが好きな勉強熱心な学生にとっては,自分のためにもなる。
ノートテイカーの学生には,ぜひ,お金をもらう以上,プロとして仕事をしてほしいと思いました。

そしてそれより何より,聴覚障害学生自身が注文をつけられる環境を作りたいと思いました。
例えばノートテイカーの字が汚くて読めなかったとします。
なんと書いてあるのか,わからない。
でも,テイカーの学生は,一生懸命で,悪気はなさそうです。
その学生が,自分のために,ボランティアとして,わざわざ時間を削って来てくれていると思うと,「字が汚いから読めない」とは,言いにくいかもしれません。
しかし,それでお金をもらっているとすると,「ちゃんと仕事をしてほしい」といえるかもしれません。
(だからといって,聴覚障害学生自身が「ちゃんと仕事してくれよ」とは言いにくいですね。だからこそ,このことは仲介役としてのコーディネーターが必要という話になります。それはまた別に述べます。)

もちろんボランティアだからといって,いい加減に仕事をされては困るのですが,大事なところは,これは学生にとっての権利であり,答えることは大学の責務なのだということです。

備品は,思いつく限り,現実的に。
ノートテイク用のレポート用紙,ペンなど。
まあ,数量なんて,正直,見当がつかないんですけど,まあ,それなりに見積もるしかないですね。

悩んだのは,コーディネーター謝金です。
コーディネーターが必要だということについては,認識していました。
筑波大学にいたとき,学生が主体となって組織化されていた情報保障の様子を間近に見ることができました。
情報保障者には,大学からの謝金が支払われていました。
しかし,大変なのは,コーディネーターです。
夜な夜な,授業のコマへのテイカーや手話通訳者の割り振りをして,穴を空けないようにしなければいけない。
精神的にもしんどいだろうし,自分の時間も相当食われる。
これは気の毒だなと,(他人事ながら…)思っていました。
それと同時に,このコーディネーターこそが,要であることも認識していました。
そして,大学によっては,事務方や教員が担当している状況も知っていました。
そして,疲労困憊している様子も。

まあ,自己中心的な性格なので(笑),そんなことを自分が背負いたくないと思ってしまったわけです。
でも,学生の誰かに任せるにしても,誰でも良いわけではない。
情報保障のなんたるかの本質がわかって,聴覚障害学生のニーズをくみ取ることができ,そして人の上に立てる人徳がある。
これから,情報保障の体制を作ろうとするまさにそんなときに,ふつう,そんな便利な人がいるわけありません。
…ところが,いたんですねぇ,これがまた。(笑)
正確には,大学院に,これから入学する学生で。
まさに神様がこのタイミングに合わせて送り込んでくれたみたいな学生が。
こんなことの連続だったから,群大の情報保障は,つくづく,「ツキ」に恵まれたと思うわけです。
(その後も,全学的な要項が制定され,学生支援センターの業務として位置づけられ,ほぼ体制が完成するまでの3年間,この「ツキ」は止むことなく続きます)。
その後,翌年の平成16年度からは,コーディネート業務は大学で職員として雇用した手話通訳者が行うことになったので,学生にコーディネート業務をお願いしたのは,この1年きりですが,本当に,助けられました。
その話は,次回に。

そんなわけで,コーディネータが必要だと思っていたし,そのための人選も考えました。
で,後々のためにも,これだけは今やっておかなければならないと思ったのは,コーディネータにきちんと謝金を支払うこと,です。
これはなかなか決めにくい。
ノートテイカー謝金は,テイクを行う授業のコマに合わせて時間数を割り出せばいいわけですが,コーディネート業務は,それこそスキマ時間に不定期に行っているからです。
迷った結果,講座主任に相談しました。
当時の私は,まだ申請書類の作成能力は未熟だったので,予算作成や要望書作成については,講座主任の先生から,勉強させてもらいました。
先々まで目が利く先生なので,私が書いた原案を見てもらって,修正してもらうのですが,けっこう,自分が気づかない視点で指摘してもらいました。
そんなわけで,この時も,一緒に考えてくれて,結論としては,一週間の特定の時間にコーディネート業務をする時間を設けて,原則的にはそこで仕事をしてもらう,という形をとりました。
実際には,その他の時間にも動かないことにはこの業務はまわらないわけですし,支払っていた謝金以上に仕事をしてくれていたと思いますが,そこは当時のできることの限界だったと思います。
ともかく,コーディネート業務があり,それには謝金が支払われるべきだということを,予算申請の段階で組み入れられたことは,今振り返っても,非常に重要なことだったと思います。

2007年7月11日 (水)

資料集「障害学生支援システムができるまで」完成!

このたび,日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan)作成の資料集「聴覚障害学生支援システムができるまで」が完成しました。
これは,同ネットワークの第3事業(聴覚障害学生支援システム構築・運営マニュアル作成事業)の活動の成果物ということになります。
私,この事業の代表を務めさせていただいておりますので,ようやくちょっと肩の荷が下りました。
(まだ,これから,よりわかりやすい「運営マニュアル」の作成が待っていますので,荷物を降ろしちゃいけないんですけど…)

大学に聴覚障害学生が入学してきた時,大学側には,支援の体制を作り上げていく作業が必要になります。
それぞれいろんな大学が,これまで努力してきました。
これから後に続く大学の負担が少しでも軽くなるよう,これまでのいろんな大学の事例を取りまとめて作成したのが,この資料集です。
いわば,支援体制構築事例集と言っても良いかもしれません。

ご関心のある方は,PEPNet-Japan事務局(PEPJ-info@pepnet-j.org)まで,お問い合わせ下さい。
紙媒体での資料集もあるのですが,近日中に,PDFファイル化したものを,PEPNet-Japanのホームページに公開する予定になっております。
URLはこちらです。
http://www.pepnet-j.org

2007年7月10日 (火)

エンガチョ!…日本的差別感を考える(平成18年5月11日)

この,「障害字教育入門」は,実験的に,「障害児教育専攻1年生のホームルーム」を目指そうと思っています。
話す内容は,みなさんのニーズに合わせて,臨機応変に変えてみようかなと思ってます。
だから,「こんな話をして下さい」ということがあれば,紙に書いておいて下さい。
応えられる範囲で,要望に応えたいと思います。
直接障害児教育に関係ない話でも,必要があればなるべく考えていくようにしたい。
そこが,「ホームルームにしたい」という意味です。
障害児教育専攻生として,これから4年間の大学生活を充実したものにしていくために必要なこと,という視点で,話す内容を考えていきたいと思っています。

でも,中には,障害児教育専攻以外の学生で,上級生の方もいますね。
Mさん,Kさん,Sさんとか。
2年生の場合,まだこれから先長いので,いろいろあると思います。
そんな意味で,これからの学生生活に必要なことは何か?っていう視点で,授業を聞いてもらえたらありがたいです。

Tさんは最上級生ですね。
その場合,逆に,4年生になったらどういうことが必要かといった話を,Tさんに協力してもらって,話をしてもらうかもしれません。
そのときはよろしくお願いしますね。(T/はい。)

さて,今日お話しようと思ったのは,前回の,「障害は相対的である」という話の続きです。
差別はどうしておこるのか。人はどうして差別をするのか。
細かく切り分けて整理していったときに,「あるものを異質に感じるのはどうしてか」とういうことを考える必要があると思うんです。
いろんな理由があると思うのですが,その中に,日本的な感覚があると思うのです。
日本的な差別感は,独特なものがあります。
どういうことかというと,目に見えないものに対して,差別が起きるということです。

たとえば,外国にも,白人と黒人の間の差別があります。
肌の色の違い,見れば判ります。
もちろん,その違いがあるから差別をして良いという話では全くないんだけど,差別が生じる原因となっている「差違」は,目に見える形で表れている。
一方,日本の同和問題はどうか。
日本の歴史の中で,脈々と続いています。
でも,ある部落の人と,そうでない人とのあいだに,外面的に確認できる差異はない。
つまり,そのことを知らなければ,まったくわからないわけです。
こういう,目に見えないものに対して差別が起こるのは,日本独特の感覚。

「障害があるかどうか」については,身体的な差違はあるかもしれません。
でも,例えば「口からよだれを出している」として,それはきたないと思うかもしれないが,拭けばきれいになるはず。
でも,拭いてきれいになったのに,「キタナイ」気がする。
あるいは,今はよだれを垂らしていないのに,汚い気がしてしまう。
それこそ,顔を洗ったばっかりでも,いったん「キタナイ人」と思いこんでしまうと,それが頭の中から離れなくて,なんだか「キタナイ」気がしてしまう。

もしかしたら,このことと,部落差別は似ているのかもしれません。
まだピンとこないかもしれないけど。

「エンガチョ」って,みなさん知ってる? 自分の小さいころあった人いる?
(学生/「千と千尋」で…)
ああ,「千と千尋の神隠し」で出ていましたね。
あの場面の,トトロの「まっくろくろすけ」みたいなのが出てきて。
どんな場面でしたっけ?
(学生/それを千尋がつぶしちゃって,かまじいが,「エンガチョ」って。)
そう。こうやりますね。
これをすることで,エンガチョから逃れられるということ。
「縁がきれる」っていうことですよね。
あれはどういう意味なのか,わかる?
(学生/死んじゃって,あわてて…それをこわがるっていうか。のろわれないように見たいな。)
そうですね。ある種のおまじないみたいな。
これ,僕が知っているエンガチョとは,似てるけど,ちょっと違うと思ったんです。

僕が小学校のころにあったのはですね…例えば私がウンチを踏んだとします。
するとみんなから「きたねえ」と言われる。
その次に,みんなから,「あいつ,エンガチョ!」といわれる。
その瞬間,僕は「エンガチョ」なる存在になってしまいます。
キタナイ存在。
でも,僕がエンガチョを逃れる方法があります。
「エンガチョ」と言われたら,急いで,ハッシーに「エンガチョ」って言いながら,タッチします。
こまったハッシーがまた僕につけようとする。
でも僕は,「バリア!」といって,こうします(人差し指と中指を交差させる。「ら」の指文字の形)。
すると,僕につけ返すことはできなくなります。
こういうの,あった人?…あ,あるね,やっぱり。
(学生/エンガチョとはいわなかったです。)
はい,言葉には地域差があるみたいですね。
バリアとかある?(学生/あります。)
ちょっと確認してみましょうか。(一人一人,やり方を確認)
はい,バリアには3通り出ました。
手をグーの形にして,胸の前でクロスさせるのもあるのね。
ちなみにこの形,アメリカ手話で「LOVE」です。

エンガチョが何かということを,外国人に説明するとき,行為の部分だけで説明しても,「鬼ごっこ」にしかならないんですよね。
「鬼ごっこ」と「エンガチョ」,何が違いますか?
僕がタッチされて,今度は僕が追いかける。
「かたち鬼」とか「いろ鬼」とか,「バリア」みたいなものがある場合もありますよね。
「たか鬼」もそうだよね。
高いところにいたら,タッチできないんだよね。
いわば,「聖域」を作ってるんでしょ。
陣地をつくる。
けーどろもそうでしょ?(学生/どろけいだった。)
「どろけい」か「けいどろ」か。高崎と渋川を結ぶ道路を「高渋線」というか「渋高線」というか,みたいな違いだね。
どっちでもいいよ。
じゃあ,「エンガチョ」と「鬼ごっこ」のちがいはどこにあるんだろう。
僕は,この1点に尽きると思うのは,この言葉で言い表そうと思う。

「臨在感」

「そこに何かがあるような気がする」ということ。
「エンガチョ」って言われると,キタナイものが確かにある気がしてしまう。
いくつかなぞがある。
例えば僕がウンチを踏んだとします。
そして「エンガチョ」と言われてしまいました。
このキタナイのを誰かに移して解決しようとすれば,…この,ウンチ踏んだ靴を脱いでハッシーになすりつける(靴を脱いでなすりつける真似)。
そうすると,たしかに汚いのが移りますね。
でも,問題は解決していないんです。
なすりつけたって,私の足下からは,臭いニオイが漂っています。
これは「ゾンビ」なんです。
鬼ごっこみたいな遊びで,どんどん増殖していく系,ありませんか?
「手つなぎ鬼」もそうですよね。

さて,エンガチョは,どうでしょう?
キタナイと言って,つけるのは手。足じゃない。
手でタッチすることで,開放された気になる。
人に「えんがちょ」っていってタッチして,「バリア」と言って,安心する。
今,ハッシー,えんがチョって言われて嫌な感じする?(ハッシー/あんまり。)
10歳くらいの子だったら?(ハッシー/あわてる。)
ちょっと皆さんの反応を試してみましょうか。
「エンガチョ」と言って,僕はハッシーにつけました。
ハッシーどうする?(ハッシー/ハヤトにつける。)
ハヤトにつける?ハヤトは?(ハヤト/ユウチにつける。)
さて,ユウチがエンガチョになりました。
ところがユウチ残念!
ここで休み時間が終わってしまったんです。
チャイムが鳴ってしまい,算数の時間になりました。
算数の時間中,ずーっと,ユウチはエンガチョ状態なんです。
その間,ユウチは「どうしよう…俺,エンガチョだ…」と思っている。
でも残念!
算数の時間が終わるころにはみんな忘れているんですね。
ま,子どもの遊びって,そんなもんです。
でもね,これが一過性のゲームで終わればいいけど,エンガチョが固定してしまうことがあるわけです。
イジメがあったとき,イジメられてる人に対して「○○菌」という言い方をすることがあります。
「かなざわきん」と。
「かなきん,かなきん」といわれる。
すると,本当に何か汚い気がしてきてします。
フォークダンスで「手をつなぎなさい」と言われても,本当に嫌なんですよ。
なんか,本当にキタナイ何かが自分に乗り移ってきてしまうような気がしてしまう。
それが日本的なわけです。
実態のないものなのに,何か汚さをかんじてしまう。

では,なんでそれはそういうことが日本にあるのかということですが,これは一概に言えないが,日本人の中で,穢れ(ケガレ)を忌み嫌うという思想があります。
平安時代,平安京で人の死や血と関わったら,都の外に出なければいけなかった。
お籠もりするってやつですね。
穢れがあるので浄めないといけない。穢れ度によって,どのくらい籠もっているかが決まる。
人が死んだら時や,女性の生理も。出産もそう。
なにが原因かと言うと,血ですね。血が忌み嫌われる。
忌み嫌われるっていっても,平安京の政治を維持するためにも,誰かが死や血に関わる人が必要です。
人の死体を処理する人は,ずっと穢れたままになってしまいます。
そうすると,ずっと都の外にいて,同じ人が仕事をすることになる。
「穢多(エタ)」「非人」の「部落」はそうした日本の宗教感覚からできあがっていったと言われています。

目に見えないが,我々がもっている臨在感と言うのがそうさせてしまっている。
この臨在感は,あながちバカバカしいとはいえなくて,現代の我々にも,残っています。
たとえば,ご飯を食べて,「農家の皆さん,お米を作ってくれて有難う」と,感謝をしますよね。
では,お肉を食べるとき,「牛を殺してくれてありがとう」と言うかっていうと,言いませんよね。
あるいは「自衛隊の方,僕らのかわりに嫌なことをしてくれてありがとう」とは言わない。
豚を殺したりするのは嫌だし,戦争は嫌です。
でも,誰かが対応してくれるから,我々は助かっている。
問題は,その対応してくれる人に対して感謝をするという発想を,どこか持ちにくくさせている何かがあるんじゃないかってことです。
沖縄に行くと,お客さんが来たとき,お祝い事のとき,家畜を殺して,お客さんをもてなします。
殺す仕事は穢れた人がするものだというのは,当たり前なのではなく,なんとなく染みついた感覚であり,無意識の中ですり込まれた思想なのです。

もう少しわかりやすい例もありますよ。
我々の中に染みついた穢れ感。
今一人暮らしの人は実家にいたときのこと,思い出して。
自分専用のハシがある人?(かなりの学生が手をあげる)
自分専用のお茶碗ある人?(かなりの学生が手をあげる)
じゃあ,Sさん,自分専用のおはし,ありますか?
お母さんのは?お父さんのは?ちゃわんは?
はい,ありますよね。
じゃあ,お父さんがある朝,こう言ったらどうですか?
「今日はお父さん,気分変えてミナミの茶碗でご飯を食べるたいなあ。お前,かわりにお父さんのを使ってくれよ。」
どうですか?(笑)
これ,なんかやだなって思った人。(かなりの学生が手をあげる)
じゃあみなさん,カレーライス食べるとき,どうしてます?
スプーン,フォーク,お皿,そういったものは,自分専用になっていますか?
はい,なっていませんねー。
この,穢れ,浄めの感覚は,なぜか不思議なことに,日本の物には宿るのに,西洋的なものには乗り移らないんですよね。
不思議ですねー。
このハシの話は,元ネタがあります。
井沢元彦さんの書かれた『逆説の日本史』です。
興味がある人,ぜひ,読んでみて下さい。

そんなことで今日は時間なので終わりにします。
おつかれさまでした!

2007年7月 8日 (日)

入学式までにすべきこと(その2)

入学式までの半月の間で,しなければいけないことが大きく2つありました。
1つは,人材の確保。
そしてもう1つは,予算の確保。
どちらも重要ですし,どちらも早く動いておかなければならないことですが,どちらの方が大事かと言えば,人材の確保でしょう。
なぜなら,予算が確保できなかったとしても,「タダでもいい」という人材が確保できれば,とりあえずの支援体制を構築することはできるからです。
そして実際,当初はそのような募集をしましたし,それでも支援者は集まってくれました。
より正確に言えば,予算要求のための動きも同時並行で進めていましたから,ノートテイクをしてくれるという有志学生には,このように伝えました。
「本来,ノートテイクには謝金が支払わなければならない。だから今,大学に対して謝金の支払いができるよう,働きかけている。しかしその結果がわかるには,まだしばらく待たないといけない。もしかしたら,結果的に謝金が払えないかもしれない。それでもいいという方,ぜひ,協力してほしい」と。

結果的には,その後の教授会で予算が承認されたことで,ノートテイクをしてくれた学生には,4月までさかのぼる形で,謝金が支払われました。
でも,ともかく初年度,入学式の日から,式典やオリエンテーションも含め,すべての授業に情報保障を用意することができたのは,「同じ専攻に入学してくる聴覚障害のある後輩を助けてあげたい!」という先輩学生の熱い思いのおかげでした。
細かいことですが,例えばこんなこともありました。
当時,私は2年生(新3年生)の担任でした。
そこで,自分が担任をしている学生の中で,いざという時にとても頼りになる,とある学生にこのことを電話で相談しました。
「わかりました!じゃ,募集の内容をメールで携帯に送っていただけますか?そしたら,みんなに回します!」
なかなか,良い反応です。心強いです。
そこで,テイカー募集の文面を作成して,彼女に送ってみました。
すると…
「文章堅いんで,私の方で直しちゃっていいですか?」

うーん,ツワモノです。参りました。m(__)m
担任の大学教員の文章の添削を買って出る勇気のある学生,なかなかいないですよね。(^_^;)
もちろん,お願いしました。
「頼もしいね!助かります。よろしく!」みたいな返事をしたような気がします。

「こんな感じで,いいですか?」と,修正されて返ってきたのを見て,お見事!って感じでした。
私が作った文章は,本当に「事務的」でした。
「聴覚障害のある一年生が入学します。そこで,ノートテイクをしてくれる学生を募集しています。」みたいな。
一方,彼女が作った文章は,「聴覚障害の一年生が入って来るみたいだから,私たちみんなで頑張って応援してあげようよ!隣に座って,先生の話を書き取ってあげる人が必要らしいんだよね。」みたいな感じでした。
さすが,学生の気持ちを動かすのは,学生に任せるのが一番ですね。
それにしても,私の文章,まるで,もてない男が出会い系サイトにメールを流しても,誰も返事をくれない…みたいな文章です。
それにひきかえ,彼女が作ったメール,「私も協力するよ!」と思わず返事をしたくなります。
さすがに4年以上も前のことなので,メールの文章そのものはもうありませんけど(残念です…)。

このメールの呼びかけですが,良い教訓になる気がします。
「募集してはいるけど,なかなか人が集まらない」という声を,しばしば聞きます。
全国の大学の,聴覚障害学生支援コーディネーターさんの,共通の悩みだと思います。
群大でも,ときどき,そういう悩みを聞くことがあります。
そしてそのたびに,掲示板などでテイカーの再募集をしてみたり,いろいろ工夫をすることになります。
では,なぜこの時に,一気に学生が集まったのでしょうか。
一言で言えば,「自分たちの後輩を助けてあげよう!」という先輩の気持ちが結集したからだと思うのです。
でももう少し踏み込むと,なぜ,彼らの心に響いたのでしょうか?

以前,公共広告機構のCMで,こんな言葉がありました。

命は、たいせつだ。  命を、たいせつに。 そんなこと、何千何万回言われるより、 「あなたが、大切だ。」 誰かがそう言ってくれたら、 それだけで生きて行ける。

一般論で「ノートテイカーを募集しています」語られても,「ふーん」と思ってしまう。
特に関心がなければ,「ふーん」とすら,思わないかもしれない。
でも,「あなたの協力が必要なのだ。」とか,「私たちで,なんとかしてあげようよ!」と言われると,答えてあげたくなってしまう。
添削して書き直してくれた学生,Wさんの文章には,そんなエッセンスが詰まっていたように思います。
その後,Wさん,教員採用試験も一発で合格して,3年目。
きっと,良い先生になっていることでしょう。

…そんな感じで,学生による学生への呼びかけのおかげで,障害児教育専攻の先輩学生の多くが,積極的に協力してくれる形で,テイカー希望の学生が集まりました。
今思い出しても,メールの添削をしてくれたWさんはじめ,集まってくれた先輩学生の皆さんに感謝,です。
ありがとうございました。m(__)m

2007年7月 6日 (金)

気がついたら…

アクセス件数,あんまり気にとめなかった(気にとめないようにしていた…?)のですが,いつのまにか,千件を超えているんですね。
こっそり準備していた期間を除けば,まだオープンして半月程度。
その割には,多くの方々に見ていただいたようで,大変ありがたいことです。
何かご要望,ご注文などございましたら,コメントいただければありがたいです。

みなさま,これからも,よろしくお願いします。

入学式までにすべきこと(その1)

平成15年,教育学部に聴覚障害学生が入学しました。
その直前の半月程度の間に行った,わずかながらも,しかし今思い返すと決定的に重要だったことを,思い出しながら書いてみたいと思います。

「聴覚障害のある学生が入学するかもしれない」ということを,現実味のあることとしてきちんと意識したのは,入学試験が終わって,「合格者の中に聴覚障害者がいる」という情報を得てからでした。
今思うと,当時の教務係長さん,3月中に必要なことをきちんと手配してくれたなあと思います。
「受験生に聴覚障害者がいる」というだけでは,単純に競争率からすれば,落ちる可能性の方が高いわけですから,動きにくい。
でも,「合格者に聴覚障害者がいる」という情報は,意味がずいぶん違います。
入学する可能性が高いことを前提に,他大学の聴覚障害学生支援の現状について,ウェブサイトなどを通じて,いそいでいろんな情報をチェックし始めました。
そして,本人が入学手続きに表れたら,私の研究室を訪ねてもらうように,教務に伝えておきました。
当時,たまたま私が障害児教育講座の教務委員だったので,公的にも,私が担当者だったわけです。
聴覚障害児教育が専門で,情報保障についても一応の知識を持っている私が,たまたまその時,障害児教育講座の教務委員であったこと,そして聴覚障害学生が障害児教育専攻に入学してきたこと,これも今思うと,すごく良くできた偶然です。
私は今年で群馬大学に赴任してから8年目になりますが,教務委員だったのは2年間だけですから。
今だったら,全学的な障害学生支援を担当する立場にあるので,どの学部・専攻に障害のある学生が入学しても,私が関与することになりますが,当時はそういうわけでもありませんでしたから,本当にタイミングが良かった。

そして入学手続きの当日,当人が,おかあさんと一緒に,研究室にやってきました!
研究室で話をして,こんなことがわかりました。
・ずっとインテグレーションで育ってきたため,手話はできない。
・高校までは情報保障がまったくつかなかった。
・ノートテイクやPCテイクについては,インターネットなどで見たことがあり,ぜひ利用してみたい。
・手話については,大学に入ったら勉強したいと思っている。
自分でネットで調べたりする世代であることに,新鮮な驚きを感じつつ,お母さんがそばにいながらも,自分のことは自分でハキハキと話す様子に,ちょっと頼もしさを感じたように思います。

さて,これで,「学生本人からの要望があった」という形で,堂々と(?),学内の関係者に働きかけられるようになったわけです。
たしか,3月の15日頃。
本当に,待ったなしのタイミングですよね。

1つ,印象深く覚えているエピソードを。
博士課程の時の後輩に,障害学生支援に精通している人がいました。
今や,「日本の聴覚障害学生支援にこの人あり!」といった,押しも押されぬ第一人者,白澤さん。
その白澤さんに,群馬大学に聴覚障害学生が入学することになったことを電話で相談しました。
まだ彼女が筑波大の技官をしていた時でした。
その時の返事の中で,こんなことをおっしゃったのです。
「3人のキーパーソンがそろった大学は,上手くいきます。1人は,専門的な立場で,テキパキ動ける教員。まあ,これは金澤さんってことになりますよね。そしてもう1人は,きちんとしかるべき時に動いてくれる,力のある先生。そして残る1人は,まめに動いてくれる事務の方。ぜひ,この2人にあたる人を味方につけて下さい。」
4年以上前のことですから,細かい文言は覚えていませんが,だいたいこんな感じのことでした。
うーん…なるほど。
今思っても,上手く言い得ています。
そして群馬大学では,まさにこの条件に上手く合致したと言えるかもしれません。

さて,これから,残り15日間で,ノートテイカー探しなどに追われることになるわけです…

2007年7月 5日 (木)

今振り返ると…

群馬大学には,「群馬大学障害学生修学支援実施要項」なるものがあります。
平成17年6月に制定されたもので,これにより,どの学部に障害のある学生が入学しても,必要な支援が受けられるようになりました。
(群馬大学の過去のニュースを参照。http://www.gunma-u.ac.jp/information/1709syougai.pdf)
今,教育学部には,障害学生支援室があり,パソコン要約筆記の技術をもった2人の職員さんが勤務しています。
聴覚障害学生は,受講している全ての授業について,必ず情報保障があります。
2台のパソコンをネットワーク接続させて,2人の入力者が連携入力を行う形で,授業中の話をリアルタイムで字幕にして表示させていきます。
教室の環境や,学生のニーズによって,表示用のモニタを用意したり,無線LANを利用して3台以上のパソコンを接続する場合もあります。
ディスカッション形式の授業の時などでは,他の学生も字幕の様子がわかった方が議論がしやすい(聴覚障害学生も議論に加わりやすい)ので,プロジェクタに映し出すこともあります。

でも,方法はそれだけではありません。
パソコン要約筆記で情報保障を行っているのは,今,学んでいる学生が,その方法を希望しているからであって,平成16-17年度は,日本手話による手話通訳で,情報保障を行っていた時もありました。
大学の授業を手話通訳するために,それに耐えうる職員さんを雇用したので,その時は新聞やTVなどのメディアでも取り上げてもらいました。
(そういえば,その新聞記事,私の名前が「金沢貴之助
教授」という改行になってしまっていたので,「おじいさんの教授」だと思われたことも…。(笑))

正規の授業以外の,就職ガイダンスなどでも,大学が主催するものについては,すべて,大学の責任において情報保障を行います。
細かくいえば,学生入力者(学生テイカー:ノートテイカーを縮めてテイカーといいます)を,どうやって養成しているかとか,「障害のある学生のための就職ガイダンス」を開催したこととか,いろんな試みをしてきました。

さて,このような,群馬大学での聴覚障害学生支援の現状については,いろんなところで文章にしてきましたし,メディアで取り上げていただいたこともありました。
でも,最近改めて思うんです。
これまでやってきた取り組みで,「今振り返ると,あの時,こう動いたのが良かった」みたいなターニングポイントになったことって,文章化しづらい部分だったりするんですよね。
どちらかといえば,「裏話」みたいな。
そして,今振り返ると,群馬大学の障害学生支援の体制がわずか3年の間に一気にできあがったのも,本当にいろんな偶然に助けられたなあと思います。
困ったときだけしか「神頼み」をしない私ですが,そうした偶然が連鎖的に重なってくれたことを振り返るにつけ,神様は必要なときに,必要なだけのことを,しっかり与えてくれるのかも…と思ってみたりします。
そのくらい,自分が動いたこと以上に,偶然に助けられました。

だからこそ,思うんです。
このブログを通して,聴覚障害学生の支援体制を確立していった足取りをたどっていけたら,と。
なかなかこれまで文章化できなかったのですが,ブログという形態だからこそ,試みてみようかと思います。

まずは,入学式の前までに,どんなことをしたのか。
ここから書き始めていきたいと思います。

2007年7月 1日 (日)

我が家のわんこ

我が家の,ナオとナナです。
…だからなんだってわけでもないですけど,一度くらいは登場させておこうかなと。Photo_3

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