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2007年6月21日 (木)

まずは量的充足を!

最近,ICT(情報通信技術)を利用した聴覚障害学生支援の実践が,あちこちで始まりつつあります。
音声認識技術,遠隔地通信,などなど。産学連携による研究で,新聞などに取り上げられることもあります。
群馬大学でも,その例に漏れず,産学連携&大学間連携による音声認識技術を用いた聴覚障害学生支援の研究を進めています。
より質の高い情報保障のあり方を考えていくことも,それはそれで大事な研究だと思っていますから,頑張って行こうと思っています。
しかし,そうしてICTが注目されている今だからこそ,あえてこう言いたい。
まずは,どんな方法であれ,聴覚障害学生が受講する全ての授業に,何らかの情報保障手段が用意されることが先である,と。

例えば,ある聴覚障害学生が,一週間に10コマの授業をとっていたとします。
しかし,大学には十分な情報保障の体制ができあがっていない。
そのため,例えば,「5コマ分はノートテイクが用意できるけれども,残り5コマ分は,我慢してほしい。だから,ノートテイクをつけたい授業の優先順位を自分で決めてほしい」と言われたら,どうでしょうか。
そんなこと,本当は決められるわけがありません。
いや,「好きな授業」,「大事な授業」は,それぞれありますから,それなりに決められるかもしれません。
でも,では,それ以外の授業は,情報保障がなくてもよい,ということなのでしょうか。
それは,授業に参加しなくてもよい,ということと同じです。
「ノートテイクをつけない」という選択をされた先生…ちょっと気の毒です。
「先生の授業は聞く価値がないので,テイクをつけないことにしました。」と言っているのと同じです。
聴覚障害学生自身に,ノートテイクをつけなくても良い授業を決めさせるということは,そんなレッテルを学生が貼ることを,大学が公的に認めてしまう,ということになります。
それはやはりおかしい。
そう考えたら,やはり情報保障をつけなくてもよい授業が存在するということ自体に問題があるのだと,改めてわかります。

さて,そうは言っても現状として,全ての授業に情報保障がつけられない大学はたくさんあります。
そんなときに,例えばこう言われたら,どうでしょうか?
ノートテイクがつけられない残りの5コマについて,「研究目的を兼ねて,新しい方法で,字幕を用意する手があるけど,どうかな。うまくいくかどうかはわからないけど。」と。
その分かりやすい1つの例が,音声認識技術です。
手っ取り早い方法で言えば,音声認識ソフトを買って,パソコンにインストールして,マイクを授業担当教員に持ってもらう(細かく言えば,事前にエンロール作業を教員に依頼する必要があるとか,もう一工夫必要ですが)。
条件がある程度整えば,ある程度,授業の話の日本語らしき字幕が表示されます。仮に80%程度の認識精度で字幕が出たら,パッと見た感じでは,「かなり良く字幕になっている」と感じることでしょう。
しかしながら,私自身のこれまでの経験では,90%程度の精度でも,字幕だけ見て意味をつかむのはなかなか難しいです。
だいたいあっているように見えても,肝心の部分が全く意味不明の日本語になってしまう。
残りの10%こそが,重要だったりします。
そして音声認識特有の誤認識は,音声情報なしに字幕だけを見るしかない聴覚障害者にとっては,単なる漢字の誤変換とは比較にならないくらい,独特なわかりにくさがあります。

では,肝心の聴覚障害学生が,その字幕が分かりにくかった時,ちんぷんかんぷんだったとき,ハッキリと「わかりにくいからやめてください」と言えるかどうか。
自分が希望する授業に,とりあえず何らかの情報保障がつけられていてはじめて,その手段と比べて,わかりにくい」と言うことができます。
これには2つの意味があります。
1つは,比較する対象がある,ということ。比較できるからこそ,批判もできます。
もう1つは,批判・否定したとしても,情報保障の手段がなくなるわけではない,ということ。つまり,文字通り,情報を得る権利が「保障」されているということ。
こういう環境でなければ,「やめてください」とは言えません。

すべての授業に情報保障が用意されておらず,用意されていない授業についてあてがわれた「試行的なとりくみ」であった場合,それを断ったら,全く情報保障手段がない中に置かれることになります。
何もない中に放り出されるくらいなら,「必要です」というしかありません。

それに,そのために教員が個人的に努力して,機材を購入して持ち込んで準備して…という状況を見ていますから,「申し訳ない」という思いにもかられます。
それが大がかりであればあるほど,「申し訳ない」レベルがあがります。
「せっかくそこまでやっていただいたのだから…」と思うから,「かえって分かりにくいからやめてください」とは,仮に思っていたとしても,言えません。

頑張ってくれている,けれどもこちらのニーズとズレているボランティアさんに,「迷惑です」とは言いづらいのと,よく似ています。

まずは,手書きのノートテイクでも,それもトレーニングを十分に積んでいない支援者であっても,まずはいいのです(それが「良い」ということではないのですが…)。
とにかく,聴覚障害学生が受講する全ての授業に,何らかの情報保障手段が用意されていること。
この,いわば「量的充足」がなされていなければ,「質的向上」はありえません。
より正確には,量的充足がなされていないことは,質的向上について検討する前提条件ができあがっていない,ということです。
質的検討をする時間や予算があれば,まずはノートテイカー募集に走り回ってほしいと思います。そして,すべての授業のコマにテイカーが入れるだけの,最低限必要な予算措置を講じられるよう,工夫してほしいと思います。

次回は,群大で,まず最初に何を行ったかについて書きたいと思います(もちろん,聴覚障害学生が受講するすべての授業のコマに情報保障を用意しました)。
そしてその次に,どうやって情報保障の質を高めていったかに,話を移していきたいと思います。

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コメント

学生だったときは研究室に居座っていれば聞くことのできた話ですが…社会人になってしまった今は、講義を受けなければ聞けないような話となってしまい、それがブログで読めるというのは得した気分ですね。

忙しい中で更新もままならないと思いますが、がんばってください。
また、ときどき覗かせてもらいます。

コメントありがとうございます。
研究室でいつも顔をつきあわせていて,いろんな話をしたのが,ついちょっと前のことなのに,懐かしく感じますね。
また研究室に来てくれたら,今度は,新しい職場の話でも聞かせてください。

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