「苦手な科目をほっておいていいのか。」という質問がありました。
そのままではまずいという思いも分かります。
でも,僕は確信はないんだけど,ほっておいてもいいのではないかと思う。
というのは,バイパスをつくるという発想です。
ただその前に,苦手な科目をそのままにしておくと,将来困ったことになるでしょうか。
僕は化学はモルでつまずいて,その先分からなかった。
いつも赤点でしたけど,「ホトケのオノデラ」先生のおかげで,救ってもらいました。
高校はちょっと変わった学校で,文系の人も数学は微積まで必修でやりました。
でも,大学卒業してから,今の今まで,方程式,一度も使ったことがないです。
自分で言うのもなんですけど,自分の仕事は一応,知的な仕事,頭脳労働ですよね。
でも,方程式,ひとつも使ってないです。
中学の社会だって,ほとんど役に立たないですよ。
算数は役立つことが多いですけど,数学は役に立たない。
鶴亀算より方程式の方が楽に答えがでるはずですが,方程式,使わないですよね。
りんごとみかん食べたいなと思ったときに,財布と相談して今支払える金額と,りんごとみかんのそれぞれの値段を出して,方程式をたてた。
答えを出してみたら,りんごは6個で,みかん1個になった。
でも実はあなたはミカンをたくさん食べたかった…残念。
そうしたらあなたは,方程式の答えに従いますか?…しないですよね。
誰かと落ち合うとき,お互いの出発点から距離を導き出して,時速何キロとか計算して,割り出された場所で待ち合わせたりとか,しないですよね。
最初に待ち合わせ場所を決めますよね。
それも,コンビニとか,喫茶店とか,待ち合わせに向いている場所を。
じゃあ,いわゆる学問は,まったく役に立たないかというと,そうではない。
数学とか化学とか,みなさんと縁の遠いところで,役に立っているんですよね。
みなさんが使っているパソコンだって,誰か開発者がいて,その努力の結晶なわけです。
逆もまた言えると思うんです。
ほとんど全く実生活には役に立たない学問もある。
でも,役に立たないからこそ,学問はそれ自体,価値があるのだと。
そして,役に立たないからこそ,面白いのだと。
たぶん,数学にのめり込んでいる数学者は,それが役に立つかどうかなんてどうでもよくて,数学の美しさに惚れ込んでいるんでしょうね。
そして難問を解くことが快感。
考古学の研究者は,それこそキャプテン翼の翼君が「ボールはともだち」と思っているのと同レベルで,土器のかけらと会話ができるのかもしれません。
…てきとーなこと言ってますけど。(笑)
たぶん,勉強って,ホントは,それ自体とっても楽しいもののはずなんです。
そんなわけで,世の中の学問が,世の中にとって役に立たないとか,そんなことを言うつもりはないのですが,でも,それを知らなくても生きていく上ではほとんど支障はない。
だから思うんですよ。
苦手なことは,思い切って捨ててしまって,そのぶん自分の得意な分野を徹底的に伸ばして,その能力を買ってもらえるほうがいいんじゃないかと。
学習障害で,記憶が苦手なお子さんがいますよね。
漢字の書き取りが苦手だったら,かわりに,電子辞書もたせたらだめですかね?
僕も漢字が苦手だったんです。
小テストで,10問中1点か2点しか取れない。
そんな小学校時代でした。
大学受験の時,「漢字は必ず書け」と予備校の先生から言われました。
でも,僕には信じられなかった。
僕はセンター試験の点は,160点以上とっていました。
200点満点で。
でも,漢字は捨ててました。
皆さんは解けてあたりまえでしょ?
でも,ほかがとれればいいやと思っていたので,漢字は0点でいいやと思った。
そして今,克服したかって言うと,相変わらず,漢字の書き取りは苦手です。
最近では,「障害児教育制度概説」の授業で,「特殊」の「殊」が思い出せなくて,あせりました。
特殊教育の教育制度を専門にしているのに,かけなかった。
そのときはさすがに困りましたが。
あきらめて,前の席にいる学生に,聞きました。
今だと,携帯を持ち歩いているので,すぐ確認できますので,助かります。
それに,「ワープロやっていると漢字わすれちゃって」といいわけができる。
結局,苦手な部分は全く克服していなくて,かわりに回避する方法を身につけたわけです。
九九ができない学習障害のお子さんもいました。
「九九をやらないと先に進めない」と思ってはいませんか。
できなくてもどうにでもなります。
2年生で九九やりますよね。
そして算数には系統性がありますよね。
だんだん,順を追って難しくなる。
約分通分のある計算があったり。
九九ができなくてものりきれると思うか,そうでないと思うか,だれかに聞いてみましょうかね。
(学生/やった方がいい。)
やらないとどこでつまずく?
(学生/計算が遅くなるので不便かなと思いました。)
遅くなる…か。
確かに遅くはなるかもしれませんね。
つまずくポイントってどこ?
算数で3年生4年生とあがっていくけど,ここでできないとつまずくというのがありますか?
(学生/算数の中で,つまずいちゃうんじゃないですか?)
つまずくのと,遅いというのは,違うよね。
どっちかな?
ここで考えてほしいんです。
そういえば,以前,研究室の学生で,なぜ,算数で早さが求められるようになったのかについて調べた学生がいましたね。
例えば,計算問題100題ある。
それができることは,算数の理解と関係しますか?
絞って30題にして,解けたか解けなかったかを見る方法もあると思います。
どちらが算数の能力を評価できますか?
(学生/たくさん解けた方がいいと思う。)
僕の経験で話すと,僕は計算が遅かったんです。
かなり遅かった。
だから,計算問題は,小学校の時は全体の半分しか解けなかった。
ただ,しっかり理解できないと気が済まなかったので,テストの問題が「わからない」ということはなかった。
わからないことがあると,納得するまで先生に聞いたりしてすごしたから。
でも,とにかく遅いので,成績は良くはなかった。
ところが,中学校にあがって,ある時,突然学年トップになったんです。
なぜかというと,すべて理解をしていたから。
学年があがると理解が難しくなってくる。
確かに中学校でも計算問題はありますが,これは単純な計算のスピードが問われるものではなくて,解き方の要領の良さで速さが変わるんです。
5−2=3を2秒でとけるか,5秒かかるかということとは質がずいぶん違う。
より短距離で解ける方法を見つけられるかで決まるわけです。
答えは1つかもしれないけど,方程式の道のりで,いろいろな方法で解けるのが数学のおもしろさです。
ロジックとして間違えていなければ,解ける。
でも,回り道をしないことが必要になります。
応用問題もそう。
ぱっと解法が思いつく人は時間が余る。
高校の数学で,60分の時間で,ある1つの問題でつまづいて時間切れになってしまった経験はありませんか?
方程式,長いものもありますよね。
一つ一つ手をつけたらいいのか,まとめて足し合わせたらいいのか。
解法をしっかり理解して説くことが重要になるわけです。
さて,九九が苦手だった学習障害のお子さんの話です。
その子は,普通におしゃべりするとぺらぺらしゃべる子でした。
当事,5年生でした。
でも,国語も算数も苦手で,算数の時間は,問題を先生が書く代わりに,板書をする「係」になっていました。
それは先生からすれば,悪意ではなく,「お客様」にせず,彼に存在価値を与えるためだったと思うんですが。
大学3年の時,その子の家庭教師をしました。
いろいろ試行錯誤して,「あ,ここか」と思った。
つまずきの箇所がわかったわけです。
「Aちゃん,後について言ってくれる?」と言って,数字の復唱をさせてみたんです。
ちなみに,皆さん,どうでしょう?
僕の後に続いていって。
13567。(学生/13567)
3486257。(学生/3486257)
もう少し行けますか?
248639571231。(学生/24863…?)
先生/これを短期記憶といいます。
7プラスマイナス2といわれています。
電話番号の長さはちょうどギリギリ。
携帯電話だと,ちょっと長くて覚えにくいでしょ?
ところで,最初に言った数字を覚えている人いますか?
ほら,みんなもう忘れているでしょ。
だから短期記憶なわけです。
あくまで,一次的にストックしておくだけ。
次に違う情報が入ってきたら,消えてしまう。
ちなみにハヤト,もう1つ問題出すよ。
後について言ってみて。
長いよ。(ハヤト/長いよ。)(一同,笑)
そうじゃない。
これから長い数字を言うってこと。
数字言います。
どのくらい長いのにしようかな。
17桁くらいにしましょう!(ハヤト/えー! マジっすか!?)
さて,ハヤトは,僕が言ったことを復唱できると思う人?
4人ですか。
じゃ,いきます。
12345678987654321。
(ハヤト/12345678987654321)
なんだ,言えたじゃないですか!
ま,これは,後になって聞いても,たぶん覚えていられると思うんですよね。
これは,短期記憶ではなく,長期記憶である,意味記憶に記憶が入ったということです。
この並びには意味があるからです。
たぶん,ハヤトは,明日になっても,思い出せるよ。
さて,Aちゃんに話を戻します。
彼は3桁でアウトだったんですね。
ここが彼の学習障害たるところだったんだなと思いました。
で,僕は九九の勉強は一切やめたんです。
彼は,九九で躓いていて,そこから先に進めていなかったんです。
足し算,引き算なら,3桁,4桁の筆算もこなせるのです。
繰り上がり,繰り下がりもできるんです。
理解力は,十分にある。
これって,すっごく,もったいなくないですか?
才能を無駄にしている。
「3×4=12」これ,みなさんはどう覚えますか?
「さんしじゅうに」と覚えますよね。
リズムで覚えます。リズミカルに行く。
そして,この覚え方自体には,意味はないわけです。
「さんしじゅうに」である意味はないんです。
言ってる意味伝わるかな?
3かける4は12の意味はあるけど,「さんしじゅうに」という言葉には意味がない。
あるのは,リズミカルで覚えやすいということです。
でも,それは多くの子にとってそうだというだけで,その覚え方では覚えにくいという子にとっては,その覚え方で覚えなければならない理由はない,ということです。
このこと,重要ですよ,とっても!
そして,少なくともAちゃんにとっては,「さんしじゅうに」という,いわゆる九九のリズムに合わせた覚え方は,全く覚えやすくない。
だから,いわゆる「九九」は,放棄しました。
そして,3個の団子と4個のお皿の絵を描いて,「この式は,お団子をぜんぶ足したのが,12になるよっていう意味だよ」と教えました。
これを見て,これじゃあ,掛け算でなく足し算をやっているだけじゃん,と思う人もいるかもしれませんね。
でも,そんなことはないんです。
最初,問題を解くときに,いちいち,お皿とお団子を書いて,答えを出していました。
でも,何問も問題を解くうちに,彼はこんなことを言い始めたんです。
「先生,めんどくさいから,全部書かなくてもいいよね」と。
「うん,めんどくさいなら,書かなくてもいいよ」と私は言いました。
彼は自分で省略してこう書きました。
お皿の絵を描く代わりに,横棒一本に。
3個のお団子の絵を描く代わりに,一本ひいた横棒の上に「3」の数字を。
そして彼は,お皿の絵を描かなくてもいいや,と気づきました。
「3×4」を単に,3を縦に4個並べて書いたのです。
そして,次に彼は,上の2つの3と3から斜め線を引っ張ってつなげて,6を書き,下の2つの3と3から斜め線を引っ張ってつなげて,6を書きました。
そして,2つの6からまた斜め線を引っ張ってつなげて,12を書くようになりました。
こんな感じで,自分で工夫を図っていったのです。
頭良いですよね。
こちらが何も言わなくても,自分で合理化してしまうわけです。
そうやって,スラスラと,問題が解けるようになりました。
でも,それだけでは,終わらなかったんです。
そうやって問題をスラスラ解けるようになると,楽しくなります。
「Aちゃん,すごいじゃんすごいじゃん!」ってこちらが感激していると,彼は嬉しくなって「先生,Aちゃんって(彼は自分のことを「Aちゃん」って呼びます)すごいの?」と聞きます。
「ホントすごいよ,だって,先生,なんにも教えてないのに,Aちゃんが自分で考えてるじゃん!」みたいに言うと,ホントに嬉しくなって,次から次へと,問題を解いていきました。
お世辞抜きで,実際,スゴイと思っていましたから,その気持ちは伝わったんでしょうね。
そしてなんと,彼は,たくさん問題を解いていくうち,いつのまにか,いくつかの段を暗記してしまったんです。
どんなに,何度やっても,九九を覚えなかったのに!
まず最初に,1の段,5の段をおぼえました。
それから,2の段,3の段,と,だんだん,増えていきました。
そして,ここで重要なのは,「なんだっけ?」と思ったら,お団子とお皿に戻ればいい,と言うことを知っているということです。
九九は,忘れたら,終わりです。
でも,彼は,理屈がわかっているから,不安にならない。
丸暗記と違って,理屈がわかっていること,これはとっても重要です。
でも,話はここで終わりではないのです。
ここまでは,工夫は確かにありますが,足し算とさして変わらない。
でも,彼は1桁×1桁のかけ算ができるようになったということで,筆算ができるようになるわけです。
彼はすでに,3桁以上の足し算引き算はできていましたから,筆算には,抵抗はありませんでした。
なぜ九九でつまずいたかというと,記憶が苦手で,九九の暗唱ができなかったからです。
そういうわけで,彼はかけ算の筆算ができるようになりました。
例えばこの計算,どうでしょう?
368×769=?
足し算しか知らなければ,冗談抜きに,日が暮れちゃいます。
368+368,その答+368,その答+368,…という筆算を,769回繰り返すわけですから。
では,かけ算の筆算なら,どうでしょうか?
今,やってみましょう。
ただし,いわゆる九九を利用しないで。
…と,こうやって,それぞれの1桁×1桁のかけ算の部分は全部お皿とお団子の足し算で解いたとしても,ものの5分もかからずに解けるわけです。
確かに九九を使えば,1分程度で解けるでしょうから,若干,早く答はでます。
でも,筆算という,人類の英知によって生み出された道具を使わないことと比べたら,天と地の差です。
なんとまあ,彼は,低学年,中学年,高学年と,3人の異なる担任の先生と出会っていたにもかかわらず,かけ算の筆算に出会うことなく,過ごしてきたわけです。
それも,「九九がわからなければ,その先には進めない」という,先入観のために!
暗記ができなくても,理屈がわかれば,その先に進めるんです。
彼はそれから半年の間に,本当に,いろいろなことを覚えていきました。
なんと,半年で,約分・通分を利用した分数の計算まで,できるようになりました。
数理的な理解力はあるんです。
ただ,それが3年以上の間,封じ込められていた状態だったわけです。
だから,分数も,ケーキを使ったり,当時の私なりの工夫で,理屈を説明しながら,きちんと教えていました(…たぶん)。
そして,ある日のことです。
これは,その日の夕方,その日学校であったことを彼から報告を受ける形で,私は聞いたのですが。
彼は,いつものように,黒板に書く係をしていました。
分数の計算問題でした。
彼は,問題を,板書した後,先生にこう言いました。
「先生,僕これ解けるよ」と。
そして,その場で解いてしまったそうです。
僕はその話を聞きながら,かなり興奮しました。
「へぇ!…で,先生,どうだった?なんか言ってた?」と聞きました。
「うん,びっくりしてた!」と,彼はニッコリと,答えました。
…そりゃあ先生,ビックリしますよね。
今まで,九九の計算ができない(=小学校2年生の最初の段階)で,つまずいていた子が,いきなり5年生の問題を解いたわけですから!
その場での先生の様子,見てみたかったです。
なぜ,彼は九九のところでつまずいていたのでしょうか。
先生は,算数には系統性があると思っていて,苦手な部分をとばしては先に進めないと思っていたわけです。
でも,彼に,「九九を使わない」という,一見,回り道なバイパスを通してあげたことによって,彼は彼なりの方法を手に入れたんですね。
苦手なことは本当に乗り越えなければいけないんでしょうか。
ちょっと教える側が頭を柔らかくして,別の道(バイパス)を作ってあげれば,それで済むのかもしれません。
おっと,そろそろ時間になりましたね。
これから知的障害のお子さんや,学習障害のお子さんと関わるとき,そんなことを,ぜひ頭に入れておいてください。
終わります!
おつかれさまでした!